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「美奈子、美奈子。おきられる?」
 言葉が頭の中で意味を結んで、目を開いたらママが顔を覗き込んでたことを覚えている。ぼんやりと暗く
て、天井は低くて、手には何かぬいぐるみがあった。どんなだったかも、どこにやってしまったかも思い出
せないぬいぐるみを抱えたまま起き上がると、外のいい匂いが流れ込んで来た。車の中にあった重たい空気
が出て行って、涼しさに少し目が開く。
「うん。」
 ママの手は靴も履いてない寝ぼけた体を抱き上げた。狭い出口を通って、いっしょに外へ出る。力を込め
る息遣いでママの胸が膨らんだ。
「そろそろ美奈子を抱き上げるのもたいへんかも。
 パパ、お願い。」
「おっきくなったもんなぁ。」
 頭の上で言葉が交わされて、ママからパパへ抱き上げてくれる腕が変わる。太くて力がいっぱい詰まった
腕に安心して、額を胸に押し付けて、確か、もう一度寝ようとしたんだと思う。シャツからしてくるパパの
匂いとあたたかさだけで、もう一回寝るにはじゅうぶんだった。
「ほら美奈子、お星さまがすごいんだぞ。
 いーっぱい海みたいにきらきらしてるぞ。」
 ねむいからいいよって思ったんだけど、パパはしきりに声をかけてきた。揺さぶられて、パパの声に引か
れて、だからなんとか重たいまぶたを押し上げた。まばたきをしてるうちにママがおでこをなでてくれた。
まわりは電気をぜんぶ落としちゃったみたいに暗くて、ママの顔がよく見えない。でも、なんだかすごく、
静かなところだってわかった。何にもしない、車の音も、人の声も、何も。代わりに風に木々がうねってふ
らせる、葉っぱの水音が聞こえた。
「ほら、あっちだよ。」
 言われて、空を見上げる。
 まるで、星の洪水みたいだった。
 一面真っ暗な夜の水面に乱反射する光のように、星が数えきれないほどたくさん瞬いている。空を斜めに
過って大きな星の川が流れ、大きい星や小さい星がいくつもいくつも競うように輝いていた。
「すごい! すごいね! いっぱいだね!」
 手を伸ばしたら両手に掴めるんじゃないかって本当に思った。伸ばした手をぎゅっと握り締めると、冷た
い風が指の間であったまっただけだった。手はでも、青白い星の色に染まっていた。
「うん、お星さまがいっぱいね。」
 ママの弾んだ声が降る。星はみんなちらちらと震えて光り、その一粒一粒が瞳に落ちる。
「美奈子も、ママもパパも生まれるずーっと前から、きらきら光ってるんだよ。
 何百億年も昔の光が遠い宇宙を渡って来て、今、降り注いでるんだ。
 きっと、美奈子とパパとママも、―――。」
 満天の星の中で、ずっと、遠い光を見上げながら、パパが何か言った。それから、ちょっと美奈子には早
かったかなって、最後、パパが困ったようにママに笑ったのだけ、よく、覚えている。





 銀河の風




 思っていたより5分早く、チャイムが部屋に鳴り響いた。まことは開いていた雑誌をソファに放り投げて
立ち上がった。近頃買い直したスリッパに足を通して玄関へと向かう。うさぎが早めに来るなんてないから、
レイか亜美だろう。夏休みの計画立てるんだ、なんて張り切っていたけれど、それが待ち合わせとかには反
映されないのがうさぎの常だ。一歩分しかない狭い一人暮らしの玄関口に立つと、フローリングに立ったま
ま腕を伸ばして鍵を開く。そうして、まことはドア越しに声を掛けた。
「どうぞ!」
 ドアはしかし開かれなかった。いつもは声をかければすぐに開けて入って来るのに、向こう側でドアノブ
を握った音もしなければ、返事も来ない。もしかして違う人が来たのかも、まことは上半身を乗り出してド
アノブを掴むと押し開いた。少し苦しい姿勢になった体を、靴箱の上に手をついて支える。大きく育った観
葉植物の葉先が顔を掠めた。
 真夏の日差しが開いたドアから吹き込んで来る、その眩しさに目を細める。ドアの隙間、目映くも細い視
界に、一人躊躇いがちに立っている人が居た。わずか眉間に力を込めて、髪の長い少女は家人の顔を窺うよ
う見上げた。身に纏う紺色のスカートと赤いスカーフをしたセーラー服は、最近ようやく見慣れて来た他校
の制服だ。
「美奈子ちゃん!
 うち、ちゃんとわかったんだ、よかった!」
 まことがにこっと歯を見せて笑いかけると、美奈子は頬を緩めた。少し安心した様子でまことを振り仰ぐ。
「一回、外からここだって教えてもらったことあったから。
 でも少し自信無かったわ。」
 日に焼けて熱そうな髪が汗で頬に一筋貼り付いている。何処か木に留まっているらしいセミが急に煩く鳴
き始めた。
「美奈子ちゃんが一番乗りだよ、さ、あがって。」
 まことがもう一息ドアを開くと、美奈子は小さく頭を下げて敷居を跨いだ。美奈子と共に、真夏の暑い空
気が玄関に吹き込む。差して広くない家とはいえ用意してある来客用スリッパを出し、まことは美奈子を待
った。腰を折って靴を脱ぐ彼女は髪が床に落ちないよう左手でまとめている。その指先まで流れるような仕
草は大人っぽくて、彼女がプリンセスだと誰もに信じ込ませたあの雰囲気がそこには確かに宿っているのを、
まことは見た気がした。
「さ、どうぞ。」
 美奈子がスリッパを履くと、まことは手を広げて廊下の先を示す。
「おじゃまします!」
 奥の部屋まで届く大きな声で、美奈子が挨拶をした。視線はまことの肩を通り抜けて奥の部屋を向いてい
る。それが何を意図しているのかわかっている。まことは手を下ろして、普通の声音で言った。
「いないよ、誰も。
 一人暮らしなんだ。」
「えっ?」
 驚いて目をまるめる美奈子の顔を見るのに、少し勇気が必要だった。先を歩いて居室へ美奈子を導きなが
ら、まことは背中にあたる視線に思案を巡らせた。言わなかったのは、言う機会がなかっただけだ。美奈子
が自分達の前に姿を現してから戦いは加速したから誰かをうちに呼ぶこともなかったし、その後は期末テス
トに私生活を脅かされていた。隠すことではないけれど、でもいつも、どう伝えて良いのかは、悩む。
「お父さんもお母さんもさ、小さい頃に飛行機事故で死んじゃったんだ。
 だから今は、自由な一人暮らしってわけ。」
 なるべく素朴な言葉を選んだ。そして、一人で暮らす広くもない部屋の扉をまことは開いた。南向きの大
きな窓からはレースのカーテンを透かして太陽が照り、窓際やソファの横には草花の鉢がいくつも並べられ
た部屋だ。テレビは小さめのが一つ、カウンターキッチンには空の一輪挿しが立っている。ソファは一人掛
けで、ローテーブルは二人向かい合って座ったらきっと狭い。
 まことはなるべく明るく笑っているつもりで、美奈子を振り返った。
「どーぞ、あたしのうちへ。
 すぐみんなも来るよ、どっか適当に座ってて。
 あたしはお菓子とお茶の用意するからさ。」
 自分がどんな表情をしているのか本当のところはわからなかったけれど、得意でもないウインクをしてみ
せると美奈子は笑って「ありがとう。」と首を傾けた。
 アイスティーでいいよね、問うと美奈子は頷いた。冷凍庫の製氷機は昨日の晩からせっせと作った氷では
ち切れんばかりだった。5人分の氷を作ることを要求されると思っていなかったらしい製氷機は、プラスチ
ックをギチギチと言わせ文句を垂れる。ごめんごめんと内心で謝りながら、まことはポットに氷を目一杯詰
めた。やかんのお湯が湧くまではもう少しかかる、最近増やした5つの色違いのグラスにも氷をいくつか落
とした。
「植物やっぱり好きなのね。
 ジュピターの部屋って感じするわ。」
 カーテンの袂に置いてあったオリヅルランを美奈子は指先で構っていた。
「まことだよ。木野まこと。」
 あ、と思ったときにはすでに口が動いていた。ちょっと高圧的に聞こえちゃったらどうしようと心配する
声が頭の中で聞こえる。でも、前から気になってたのは事実だった。
「その植木鉢にも書いてあるだろ。」
 冗談ぽく肩を竦めて、視線で鉢を示した。小学校の授業で植えたオリヅルランは白いプラスチックの植木
鉢に自分の名前が書いてある筈だった。今見ると随分のたくった字に見えるけれど、教室にあったマーカー
全色使ってカラフルに名前も絵も書き入れた渾身の植木鉢だ。まことはダージリンの茶葉をスプーンで掬い、
何の気ない風に言った。
「名前呼んでくれたこと、ないよね?」
 カウンターキッチン越しにちらと見遣ると、美奈子は目を伏せた。
「ごめんなさい。」
 失敗した・・・、その確信が背中にさーっと変な汗となって伝った。怒っているわけじゃないし、責めて
いる訳でもない。まことは必死に両手と首を振って否定した。
「いいっていいって!
 だって、美奈子ちゃんとは出会う順番が違ったもんな!」
 まことはなるべく落ち着いて、尖った所がないようにやわらかく声を紡いだ。
「お父さんとお母さんがくれたものだから、大切にしたいんだ。
 あんまりいっぱい思い出があるわけじゃないけど、さ。
 だから、いつでも名前で、呼んでくれるとうれしいな。」
 カーテンは真っ白く輝き、オリヅルランが細く尖った葉に陽を受けている。その景色の中にいる美奈子が
小さく微笑んだ。床で反射する夏の太陽がまことの睫に絡んで、瞳の奥でまぶしさとなる。
「じゃあ、みんなと同じで、まこちゃんでいいかしら。」
「うん!」
 思いっきり頷いてみせたとき、チャイムの音と同時にまこちゃーん!と呼ぶ明るい声が二人の耳に届いた。