肩を滑り落ちる黒髪に、星明かりが流れた。 腕を掠めた毛先に音が一つ絡む。 「ここには、何もかもあるもの。」 ここには何もないもの、と口から出ようとしていた言葉が喉を引っ掻いて体の中で砕けた。ただ沈黙を埋 めるために呟いた、そうね、という空虚な肯定を彼女は振り返る。見渡す遥か銀の月世界の縁に立ち、真空 と同じ真っ黒の目で。王国を包んで夜に沈むドームに背を預け、彼女は今だけ同じ視線の高さになる。 マーズが息を吸い込む、その形を見た。 「いつだって。」 白い頬が頭上を振り仰ぐ。地球が、夜空の中心で輝いている。わたしはその睫が瞬きをするのを見つめて、 ただ立ち尽くす。彼女の瞳に突き刺さった悪夢の一欠けを、取り去ることもできないままに。