まっしろい空が窓に広がっている。
 薄曇りの明るさは向かいの校舎と屋上の隙間から降り注いでいた。後ろ手に引き戸を閉める音は鼓動より
大きく、まことは息を潜めて、その古い板張りの床を踏んだ。空気を掻いて泳ぐ足が埃を舞い上げる。目の
縁、淡い光の中で細かな埃が光の結晶となっていく。自分の瞬きの音さえ、聞こえる気がした。
 彼女に似ていると、思う。
 居並ぶ本棚はうずたかく、一つ一つゆっくりとその影を覗き込んで歩く。一年生の女の子がしゃがみ込ん
で表紙を眺め、背の低い男子生徒が窓に寄りかかって文庫を読んでいる。最果ての壁は徐々に近づき、わず
か影が濃くなって、古い本達の饒舌な沈黙がまことの肩をひっそりと押さえた。
 彼女は、一番奥の棚を見上げていた。
 窓の最後の切れ端が、踵を上げて本棚に手を伸ばす彼女を切り抜いている。錆の微かに浮かんだ古いスチ
ールの本棚は彼女に手をかけられて黙っている。白い窓の外、隣の屋上にある手摺では、剥がれかけた塗装
が喧しく風に震えていた。
 まことは微かに笑って、影もできない床を踏んだ。
 それは、日に焼けたオレンジの本だった。
「あ、」
 同じ色した声が落ちた。空を掻く細い指を越えてまことはその本を手に取り、自分を振り仰ぐ彼女へ差し
出した。オレンジのまばゆさが二人の間で華やぐ。
 亜美の瞳がまことを映す。頬をやわらかく解いて、はにかむように亜美は笑った。
「ありがとう。」
 本を渡す。指先から伝わるその仕草のうちにも、彼女の体温をみつけてしまう。まことは自分も、自然と
微笑みに変わるのを感じた。彼女の瞳に映れば、水面のように自分の姿も同じに染まってしまう。
 いく? と、亜美が口の形だけで尋ねる。まことは頭を振って、まだいいよと答えた。そうして壁に背を
預け、本に目を落とす亜美の背中を見つめる。一生のうち、まことには読むことがあるかもわからない本達
の厳しい眼差しは、まことなど遥か飛び越えてどこか遠くを見ている。
 足元に影もできない朧で希薄な空気を吸い、睫を伏せても、居心地よくここに佇む自分の姿は描けなかっ
た。華奢な肩の隣に並んで本を選ぶ自分は、目蓋の裏にすら描けない。確かに自分はここに立っているのに
存在出来ない、遠い場所。
 それでもまことは、ここに居ることを選んでいた。何も掴んでいない手のひらを、まことはわずか見下ろ
す。まっしろな窓から落ちて来る空が、手に映っている。淡い日差しの中、彼女と光の結晶に包まれていた
いと、思っていた。
 そしていつか、背伸びをやめた彼女に、手のひらにかかる陽もきれいだよ、と。