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「私の愛はあの人に捧げている。他の誰も愛したりできない。」
 彼の言葉を浚うよう、砂塵を風は舞い上げた。傷ついた彼の頬で砂粒が暁光を弾き、その破片は私の目を
眩ませる。精悍な横顔は明ける王国の夜を映し微笑んでいる。睫が微かに震える。
「愛がないなら、恋をすればいいじゃない。私はあなたの愛の傍らにある恋で十分幸せよ。」
 私の口は、ひとひらの迷いもなく言い放つ。巻いた布から血を滲ませる彼の左腕は力なく体側に垂れてい
て、右手だけが意志を持って帯びた剣の柄に触れている。地平から雲を燃やす太陽が昇れば、その時が訪れ
る。
「あなたが恋で妥協するのか。」
 目を伏せる彼の表情は逆光で塗り潰されている。紺青の空に灯った火を、彼の姿が切り取っていた。彼が
伸ばす長い影は下草を覆い、私にまでかかる。小高い丘の端に立ち見下ろす平原は、決戦の時を待つ荒野。
私は声を振り絞った。
「あなたが恋しかできないなら、」
「ねーぇ、レイちゃぁん。かまってよぉ。」
 腰にしがみついてきた粘っこい声に、レイは頭上を仰いだ。読んでいた本の景色がぱあっと霧散し、古い
染みが二つ浮かぶ板張りの天井が目に焼き付く。
「美奈、仏の顔も三度までって言葉、知ってる?」
 いつの間にかちゃっかり腰に腕を回し、頬を足に擦り寄せて来る美奈子に目もくれず、レイはため息混じ
りに忠告した。勉強会が終わっても一人居座り、こたつに胸まですっぽり入っている美奈子を邪険にするの
は何度目だろうか。少なくとも三回以上あるのに、まだ一度も叱りつけていない自分は仏よりは優しいのか
も知れない。夕飯までは時間があるけれど、三十分前に皆を見送った時には陽はすっかり落ち、木星が神木
の上で煌々と輝いていた。
「だって、レイちゃんちっともかまってくんないんだもん。ふたりっきりなのに。」
 外はもう真っ暗だ。
「あたしは本を読むって言ってるでしょ。そんな退屈なら早く帰りなさいよ。」
 ぱらぱらと文庫本を捲りながら告げると、美奈子が「ぶー。」とわざとらしく不満の声を上げた。だがレ
イにしがみつく腕は緩まないどころか強くなり、頬をぎゅっとレイの太腿に押し付ける。
「やぁだ。」
 リーダーのくせになんなの、と的外れな文句が浮かんだ。そんなレイの左腕を、美奈子の手が絡めとった。
思い掛けない力に本を手放してしまってページが閉じる。
「ちょっと。」
 初めて、レイは美奈子を見下ろした。肩を滑った髪が美奈子の頬に当たり、彼女は左目を閉じる。レイの
左手を握り締めた美奈子は得意げで、目蓋を伏せる仕草さえ悪戯前の笑顔に見えた。
「レイちゃんのこと好きなんだもん。」
 顔を赤くするのも、反論するのも癇に障って、レイは眉が小さく動くのだけを認めた。美奈子はにこにこ
笑いながら、レイの左手を両手で握り締めてこたつの中に首まで潜る。
「一生やってなさい。」
 美奈子の手は少し、汗を掻いていた。ページに挟まっていた親指を使い、レイは右手だけで本を開く。意
味を持ったインクの染みに目を落とし、さっき読んでいた場所を探す。
 やわらかな感触が、左手の甲に触れた。
 本を取り落とすほど拙くはなかったけど、振り向いてしまう体を止めることは出来なかった。こたつ布団
に埋まった美奈子が満足そうに唇で弧を描く。そのあたたかな唇がレイの手の甲に押し当てられた。
「一生やってていいんでしょ?」
 指の付け根に唇を寄せ、美奈子がレイを見上げた。あからさまに肩を動かして、レイは大きく息を吐いた。
ぴったりとくっついて来て鬱陶しい美奈子は、寝転がったまま動いたせいでリボンで結わえた髪が幾筋か乱
れている。レイは本を閉じると、黙って美奈子のリボンを解いた。
「あっ、ちょっと!」
 髪を右手で押さえ、左手がぱっとリボンを追った。だがレイの腕の方が早く、リボンを寝転がった美奈子
には届かないテーブルの真ん中に置いてしまう。そうして、リボンを追いかけてこたつから這い出て来よう
とする美奈子の肩を手で床に押し付けた。
「え。」
 目を真ん丸に見開いた顔に、レイの影が落ちる。左腕を虚空に逃がして、その胸と頭を抱きしめる。困惑
を孕んだ息が肩に当たった。それを無視して、レイは美奈子の頬に口づける。表情と同じにやわらかい頬に
二度三度と唇で触れ、頬骨を辿って耳を舐める。
「レイちゃ」
 腕の中で美奈子の体が小さくなる。緊張に強ばる美奈子の髪に指を絡めて拘束して、ピアスのついた耳た
ぶを齧る。細切れになった彼女の息が腕の中に零れた。
「ちょ、ちょっと待っ」
 うろたえる声が籠る。じたばたと暴れる左腕が電灯の光を時折遮るのを感じながら、レイは美奈子の顎を
掴んだ。こたつの中に首まで入っているせいで碌に身動きがとれなくて、抵抗などまるで意味がない。赤ら
んだ頬は唇で触れると、少し熱い気がした。
「構って欲しいんじゃなかったの?」
 ふっと額を吹いて、明るい色の前髪を飛ばす。上半身に覆い被されば胸の下に彼女の呼吸を感じた。こん
な安い電灯の平たい光の中でも、彼女の目は透き通るように綺麗だ。レイはそう思う。
「え、えっ。だ、か構うって、こ、こういう・・・。」
 自分からしてくるときはあんなに自信たっぷりなのに、と口の端から思わず笑いが零れる。眦まで赤くし
た目に近づくと、彼女は目蓋を伏せた。唇に睫の合わさる音が触れる。
「バカね。」
 囁いて、レイは美奈子の頬を両手で挟んだ。真っ赤な顔とわずかな距離で見つめあう。彷徨っていた美奈
子の左手が、レイの肩口を掴んだ。
 目を閉じて、唇を触れ合わせる。
 解けた髪が絡む音が、かすか耳元を流れた。