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 夢で、あれば

 満天の星空を、金色の流星雨が駆けて行く。天頂から遥か月の地平まで、幾千の帯を引いて輝きは人々の
頭上へ降る。マーズは金色の軌跡を振り放け見た。瞬きの間に消える無数の光はその黒い目を駆ける。
 夢のような光景だった。大気層のない月で、空気に焼かれて輝く塵が流星へと姿を変える瞬間など見られ
る筈がないから。星間に舞う塵が燃えるのは、惑星に落ちるときだけだから。あり得ないことが起こるのは
夢のなかだけだから。月に黄金の流星雨が降る。夢のような光景だった。
 これが夢であれば、どれだけよかっただろう。
 嚥下した唾液に、ぶつかりあう大量の人間が上げる汗の臭いが絡んだ。黒煙から立ち上る血の生臭さが肌
にまとわりつく。星空に照り映える炎も、腕を掠めて突撃していく戦士たちも、血飛沫の中から聞こえる呻
きも、嗚咽も、悲鳴も、全てを縁取って、星に似たものの墜ちる音が響く。遠く、数万の人垣を越えた左翼
から響く雨音は、戦火を貫いて地鳴りとなって足に伝わった。
 あの流星は、セーラーヴィーナスが放った光の矢。敵を打ち砕く幾千の刃。そして、ここは、晴れの海は
 コール音が通信機から響いた。腕は動かなかった、体側に垂れたまま。聞かなくてもわかっている。誰か
らの通信かも、どんな声音で何を言うかも。自分で出なくても、二回のコールを待たずに回線を強制的に開
いて彼女は言うとわかっている。努めて単調な声で。
『クンツァイトを、ヴィーナスが倒したわ。』
 全て、夢であればよかったのに。
 砲の爆音が本陣後方から戦場を撃った。衝撃の余波は月の平原を埋める戦士達の肉体から鬨の声を迸らせ
る。戦場を貫く轟音は敵司令官を落とした合図。晴れの海で高波のごとく熱気が膨れ上がり、勝利に翳され
た幾千の剣が星明かりを弾いた。
『今こそ好機、私達は前に出ます!』
 歓声を射抜き一方的な通信が二つ回線に割り込んだ。二人の部下が言い放つなり最前線で怒号が上がる。
左右両翼の部隊が咆哮を上げ濁流となって、地球軍へと突撃をする。
「我々も共に!!」
 背後で戦士の雄叫びが上がった。呼応して数百の咆哮が体を打ち、マーズを置き去りに戦場を飲み込んだ。
負傷していた者すら頬に活気を漲らせ、剣を手に再び敵へと向かっていく。
『ヴィーナスの怪我が酷いみたいだから、一度下げるわ。』
 額から吹き出した汗が口に染み込んで、逸れた一筋は喉へと流れた。人波に飲まれて、前線が人の背に掻
き消されて見えなくなっていく。白刃の閃きも剣戟も、遠くへ浚われていく。このまま目を閉じれば、この
光景すべてもう一度、夢の彼方に押しやってしまえるだろうか。思って、でも目は乾き開いたまま動かない。
繰り返し見たあの夢は、予感から予知へと変わっていく。
『ジュピターはそのまま前線を維持、マーズは突撃した左方の部隊を主力に敵部隊を分断して。
 クンツァイトの部隊を鎮圧したら、あなたたちの方へ増員するわ。』
 いち早く名乗り出た部下二人も、マーキュリーの指示も正しい。司令官を倒し士気が上がった今こそ攻め
るべき好機であり、マーズこそ、戦いを統べる戦士として、全軍を率いて出るべきだという判断にはなんら
疑問の余地もない。
 だがマーズの足は、ピンヒールを石の間にひっかけたまま動き出さなかった。肩口を掠めて月の戦士たち
が攻勢に出る、その後ろ姿を呆然と見送っていてはいけないのに。これは地球の戦線を大きく後退させる数
少ない好機であるというのに。
『クンツァイトを倒しても、誰も降伏しなかった。
 理性なんて戻らないし、恐怖心も何一つ持ち合わせていないみたいに、突進をやめないわ。
 だから、気は抜かないで、最期まで。』
 ノイズが乗った音声に混ざる荒い息遣いが自分のものか、同じ回線を聞いているジュピターのものかわか
らない。ただ、背骨を伝う汗で服がべったりと濡れていた。腰にまで水滴が浮いている。手袋の中が熱で蒸
れ、爪の間にまで不快が浸食していく。腕がなくなれば食らいつき、内臓が破れても剣を振るい、頭が潰れ
ても心臓の音がなくなっても、生命の最後の一滴まで絞り出して殺戮のために燃やす、地球人達の戦い方は
圧倒的な狂気に満ちている。火だるまになりながら彼らが振るった剣に突き刺されて人が倒れた、その飛び
散った血はマーズの右腕にまだ生乾きにこびり付いている。
『どう、いう・・・意味だ?』
 ジュピターが声を震わせた。彼女に言わせないでよ、そう声を絞り出したくて、でも唇は震えるばかりで
音にならなかった。指が、掌に握り込まれる。鋭い力でもって、汗の粘つく皮膚に爪の感触が当たった。圧
倒的な狂気に満ちた人間をどう制するのか。その狂気を晴らす術を持たないで続ける戦いが、一体どんなも
のであるか。
 マーキュリーが息を呑む気配がした、一つきり。
『相手を、確実に殺しなさいって、言っているのよ。』
 敵の正体はかならず突き止めるから、それだけ言い添えてマーキュリーからの通信は一方的に終了された。
残されたジュピターが零すわずかな物音を切るため、マーズは手を通信機へ伸ばした。回線に乗っていた雑
音も、人の息遣いも、それだけで消える。残ったものは何もない。ただ煤けた手が虚空に浮いている。地響
きのためにも、雷が地表を打ち砕いた眩さによる錯覚のためにも震えない手。
 わかっている。わかっていた。この日が来ることを。
 何度も繰り返した夢の中で、幾度となくこの目に焼き付けた。だからこの日を避けたくて、この戦いが起
こって欲しくなくて、今までずっと戦ってきた。あの夢をただの予感の夢にしたくて、予知夢になんかした
くなくて。だって、
 マーズはふっと頭上を振り仰いだ。足がひとりでに、二歩後ろに下がった。幾億の銀河が散らばる星空に、
青く地球が輝いている。その瞬きが一瞬翳る。
 二歩分空いた場所へ、一人の歳若い青年が駆けた。
「待っ」
 咄嗟に伸ばしたマーズの手を、彼は振り返らなかった。横切る刹那に見えた眼差しは夜明けの青をしてい
た。

 夜空を過った予知は、水音を撒き散らして現れた。
 槍は白銀の甲冑を破り、青年の胸から背を貫いた。柄に彼の手が伸び、届く前に膝が折れる。前のめりに
地面に突っ伏して、肉体に押されて槍はなお深く彼の体に埋まり背から空へと突き出した。灰色の砂に顔が
埋まる。幾度も痙攣を繰り返す体から、血が地面に溢れ出ていく。地面の傾斜や岩の形を描き出して、一面
に広げて。
「げ、がっ。」
 背に槍を生やし青年が二度、大きく仰け反った。槍の先に塗りたくられた血が粒となっていくつか散った。
最後の一息が蒼白な彼の唇から零れて、解ける。砂の混じる血に絡まって澱みながら。
 走れ。
 マーズは握り締めた拳を口元に押し付けた。手首を強く掴んで、身を折り曲げる。宇宙を切り裂いて雷鳴
が轟き、断末魔と咆哮が耳を聾する。走れ。いま、自分こそが走って、敵全員を焼き払わねばならない。そ
うしなければ誰も守れない。そうしなければ、この国の人が、守るべき大切な人達がみんな。
「どう、やって・・・っ。」
 彼らの狂気の陰に、この死の下に、悪意の塊がある。それを引きずり出し倒さなければならない。確かに
その元に辿り着くこともできるだろう、この月に地球の全ての人間をどうにかすることはできなくても、無
惨に蹂躙されるほど弱くはないから。でもその時に、この平原がどんな色をしているか知っている。そして
その後にこの月が、地球がどうなっているか知っている。だってあれは、かつて外れたことのない、予知の
夢だったから。
 だから、どうやっても、誰も、みんな。
『ヴィーナス!!』
 絶叫が鼓膜を劈いた。
『ヴィーナス! 戻って!! 戻りなさい!』
 思わず外した通信機からマーキュリーの悲鳴が迸る。掌に乗る小さな機械が音割れさせながら叫ぶ。金属
板の震えが触れる親指から伝わるほどに激昂している、回線を繋ぎ間違える程に、マーキュリーが。マーズ
は息を口から吸って、冷静な声を作り出す。
「どうしたの。ヴィーナスに何かあったの?」
 空隙が会話に割り込んだ、一拍。回線を間違えたことをマーキュリーは悔いたのが伝わって、マーズは急
に静かになった通信機をつけ直した。上手く膨らまない肺を押し広げて、マーズは息をする。
 普段と変わらない、落ち着いた声音が聞こえた。
『おねがいマーズ、あの人を止めて。』
 普段と同じで、きっと涙も流していないだろう。
 左手後方、敵左翼部隊へマーズは身を翻した。それは流星が降った方向、数万の人垣を越えた先。地平線
と人の姿が重なるもう一つの戦場へ、マーズは地を蹴った。通信機に手を当てて、最前線をかける二人の戦
士へと放つ。
「ここは任せたわ! あたしは左翼へ!」
 宙を舞った髪が頬を打つ。広がる月の平原、地球が与える星明かりにシルバーミレニアムが浮かび上がる。
両手を広げても納まりきらない月の王国を見上げ、マーズは走る。クリスタルパレスは淡く燐光に包まれて、
国を、人々を穏やかに包んでいる。あの日。初めて月に降り立ったあの日に、この王国を守り生きていく自
分の夢を見た。誇りを持って愛する人々を守り、生きていく自分を夢に見た。そして、夢を叶えながら生き
て来た。
 今日まで。
 人垣を抜ける。戦いの途切れる荒野へとマーズは躍り出る。荒れ地を渡った先、激突する二つの大河があ
る。怒号を撒き散らし二つの星の人間が刃を噛み合わせる。その濁流の中、マーズは一粒の欠片を探しなが
ら踏み出す、一歩走り出れば落ちてしまうかのような宇宙と月の間へと向かって。
 暗闇を射抜き、黄金の閃光が夜空を貫いた。鮮烈な眩しさの中に、宙を舞う黒い影がいくつか浮かび上が
った。吹き飛ばした影の軌跡を追いたくないのに目が追って、マーズは目蓋を一度強く閉じる。間違っても
それが地に落ちる音を聞かないで済むように奥歯を噛み締めて、真っ暗になった視界に浮かび上がる金の残
光だけを追って、その源へ辿っていく。
「ファイアー・ソウル!」
 腕に炎を灯し、立ちふさがる者を焼き尽くして。
「ヴィーナス!」
 陽炎が空気を揺らめかせていた。
 見渡す限り炎に包まれて、マーズは立っていた。敵を焼き払うために生み出した炎は周囲を取り巻いてし
まった。辺りには生きている人など誰もなかった。ただ、こちらに背を向けたまま肩で大きく息をする彼女
以外には。
「ヴィーナス! 何してるのあなた。
 下がるよう言われているでしょう。」
 金色の長い髪が解れて左腕に絡まっている。リーダーのくせに、指揮官であるくせに、たった一人孤立し
て戦って、彼女は左腕から多量の血を零していた。腕だけではない、体の左半分が真っ赤だった、冗談のよ
うに。
「一度戻るのよ、ヴィーナス。」
 彼女は振り返らなかった。二人の間は十歩離れていた。折り重なる死体が三つ転がり、その影が炎で蠢い
ている。それを跨ぐのには、何かが必要だった。だけど跨がずには彼女の元には辿り着けなくて、マーズは
顔の欠けた男を越えた。
「ヴィーナス。」
 長い髪が炎に煽られて、琥珀色に透ける。握り締めた右手を揺らし、セーラーヴィーナスが振り返った。
「あなたこそわかっているの? これが、殺し合いでしかないと。」
 彼女の右目には乾いた血が絡み、顔面から胸元まで誰かの体液がこびり付いていた。ヴィーナスの眼差し
がマーズを見上げる。あとたった二歩で、マーズは立ち止まった。左足の踵が、もうぬるい誰かの体に当た
った。
「マーキュリーにこんな命令を出させているのも、
 皆が殺し合いをしなければならないのも、
 ここでこんなにも人が死んでいくのも誰のせいだと思っているの?」
 右手が訴えるよう開かれた。一方で左腕は力なく体側で揺れ、右足だけが体重を支えていた。唇は真っ青
で、血は赤黒くて。だけど、眼差しにだけ火が映り込んでいる。肉の焼ける生臭さの中で、ヴィーナスは言
い放つ。
 頭上に、炎も悲鳴も越えた空に、夜明けの星が現れている。ヴィーナスの頬を掠めて、金星が地平に輝い
た。
「あたしのせいよ!!」
 炎が唸りを上げた。熱の巻く向こうから、人間の気配が湧き起こる。身を焼き命を奪う火すら越えて、命
すら投げ打って狂気の人達が押し寄せる足音が聞こえる。マーズは拳を握り締めた。力を体の奥から引きず
り出す。
「この戦いを止められなかった、あたしのせいよ。」
 マーズは目を閉じた。左手で掴んだ右の拳に火を熾す。敵、を倒すために。
「あたしが一人でも多く倒すしかないのよ。
 誰にも、こんな戦いは続けられないわ。だから。」
 ヴィーナスの眼差しを掻き消すよう、右腕を振り抜いた。解き放たれた力が炎へと具象し、灼熱の壁から
飛び出して来た人間達を焼き滅ぼした。今際の言葉も飲み込んで。熱波が二人の影を煽った。
「赦さないわ。
 大切な人達を殺したあたしを、絶対に。」
 左腕と足から滴る血が、足元に蟠っている。黒々と大地に流れる彼女の影は手で頬を辿って、睫にそっと
触れる。彼女の目は何処も映していない。声は朧で色も霞んで、だが何かが彼女の体を立たせ続けている。
 マーズは硬い唾液を飲み込んだ。
「なら、こんなところで死なないでくれる?」
 右腕で水平に空を切った。拳は無防備なヴィーナスの顎を叩く。手応えはあまりに軽かった。彼女の膝が
崩れる。空を仰ぐようくずおれる細い体に左腕を回して抱きとめた。ヴィーナスの白い頤が宙に晒され、金
色の睫は音なく合わさっている。幾筋もの血痕はまだ乾ききらないで、肌の上で震えていた。
 地平を、マーズは振り仰いだ。
 吸い込まれるような真っ暗な宇宙に、金星があの日と同じに眩く輝いている。この国を守り生きていくこ
とを夢見たあの日と同じに。いずれ来る夜明けを、何よりも早く告げて。
 ここにある死の全てを背負って。