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スティモシーバー














「―――!」
 けたたましい音を撒き散らし、グリシーヌの体がカウンター奥の棚に突っ込んだ。並べられていた酒瓶の
ほとんどが四散し、ガラス片とアルコールの匂いが充満する。背中を強かに打ちつけたグリシーヌは、苦し
げな呻きを漏らしながら、顔を上げる。ブランデーで濡れた頬には金髪が貼りつき、顔の半分はガラスで切
ったのか血で汚れていた。青い目が、無言でカウンターに肘をついた女を睨む。
「これで、アンタもアタシの言いたいことがわかったかい?
 グリシーヌお嬢さま。」
 最後の呼びかけにたっぷりと嫌味を込めて、ロベリアはグリシーヌを見下ろした。
「悪党は、言葉というものを知らんらしいな。
 人のことをいきなり殴り飛ばすとは、どういう了見だ。」
 グリシーヌが立ち上がると、割れたガラスが騒ぎ立てた。その立ち姿に、ロベリアは目を細めながら、カ
ウンターに残っていた割れた酒瓶の中身を口に含み、些末な破片は無視して喉を潤す。それ程、深い傷は無
いようだが、見るからに全身、血塗れと言った風体だ。ここまで怪我をしたことは、自分もなかったかもし
れない。そう思うのに、グリシーヌの目は決然としていた。痛がるそぶりも無く、両足で起立している。
「いやぁ、アンタには言葉にしてやるより、
 体に刻み込んでやったほうが好いと思ってな。
 貴族のお嬢ちゃんをあんまり何度もいじめると、首が飛びそうだし。」
 ダン、とグリシーヌがカウンターに手を突いた。零れていたアルコールが飛び散る。
「私をお嬢ちゃん呼ばわりしてくれるな!」
 その彼女の顎を右手で掴み、ロベリアは鼻先に微笑みかけた。
「そういうところが、お嬢ちゃんなんだよ。」
 貴様っ、怒鳴りかけたグリシーヌの胸倉を掴み上げ、カウンターに叩きつける。呼気が強制的に肺から押
し出される音が聞こえた。一瞬、力が抜けたのを見計らい、カウンターから彼女を引きずり出して、床に投
げ捨てる。
 残っていた酒瓶の残骸も、それに伴って床に散らばった。
「ふん、重たい雑巾だな。」
 這い蹲ったグリシーヌを見下ろす灰色の瞳は、眼鏡の奥で鋭く細められている。グリシーヌは、直ぐには
起き上がれなかった。左腕を床に立てて、上体を持ち上げる。
「き、さま・・・っ。」
 肩で息を吐きながら、グリシーヌが顔を上げた。
「ん? どうした。
 随分、息が上がってるじゃないか。
 コクリコよりも体力がないのか、お前。」
 ロベリアは微笑んでいる。その表情は、嫌味な程にやさしい。少なくとも、今までグリシーヌに向けた表
情の中で、一番優しい。
「お前さ、弱いんだからすっこんでろよ。
 貴族は貴族らしく、屋敷の中で震えてればいいだろ。」
 ロベリアが口角を持ち上げる。それと同時に、グリシーヌの怒りに満ちた顔面が、視界の中心を占めた。
両の足でしっかと立った彼女の両腕がロベリアの襟首を掴み、乱暴に上体を引き寄せた。
「今の言葉、聞き捨てならん!
 撤回しろ!!」
 肉薄するグリシーヌの気迫は、大抵の人ならば気圧されるだろうが、ロベリアにはそういったものを流す
ことは簡単だった。グリシーヌの顔に、嘲笑を浴びせることも容易い。
「折角教えてやってるのに、貴族ってのは人の話もまともに聞けないのか。
 どうしようもないな、お前。」
 グリシーヌの顔が歪んだ。もうその表情が、どういった感情の機微から来ているのか判断することも難し
い。彼女が何事か言う前に、ロベリアは叩き潰すよう重ねて言葉を吐き連ねる。
「いいか、アンタに出来ることなんか何も無い。
 それが判ったら、二度とアタシの前に立つな。
 目障りなんだよ!
 そんで、いい加減、離せよ。」
 襟首を締め上げていたグリシーヌの腕を、力任せに払い落とすと、バシッ、という妙に甲高い音は、シャ
ノワールのステージホールに響いた。グリシーヌの引き結ばれた唇は震えていて、硬く結ばれた握り拳は、
筋が浮き出ていた。
「それでも、それでも仲間ではないか・・・っ!
 ならば、―――――。」
 喉の奥から搾り出すようなグリシーヌの声を、ロベリアは一笑に伏した。
「はん!
 仲間だぁ!?
 ふざけんな!
 あんだけ悪党だなんだと突っぱねていたのは誰だっけねぇ?」
 その言葉に、グリシーヌは思わず閉口した。端正な額に皺が刻まれる。
「第一、アタシには仲間なんて要らないのさ。
 仲間なんてのは、弱い奴らが自分だけじゃ何も出来ないからつるんでるだけだ。
 カスは集まったってカスなんだよ!」

「貴様ぁっ!」
 バキィッ、
 鈍く重い音を伴って、ロベリアの頬で衝撃が弾けた。ロベリアは数歩後ろにたたらを踏む。グリシーヌは
殴りつけた勢いで体勢を崩していたが、視線だけはロベリアをはっきりと捉えていた。純粋な怒りだけを湛
えた双眸は矢のようですらある。
「馬鹿力だけはあるんだな。」
 冷笑して、ロベリアは口の端を拭い、殴った時の姿勢から未だ立ち直っていないグリシーヌへと間合いを
詰めた。嘲りを込めて囁き、腕を振り上げる。
「馬鹿力しかないけどな。」

 体重を載せた渾身の一撃は、彼女を床に沈めるのには十分だった。仰向けに倒れていく体は、背後にあっ
たテーブルを巻き込んで、派手な音を上げる。
「ぐ、っぅ・・・。」
 半ば椅子に埋もれて、グリシーヌは苦しげな呻きをあげた。暫し宙をさ迷った焦点は、ロベリアを捉えて
その姿を網膜に結像させる。春空を思わせる透き通るようなライトブルーは、しかし、先程と同じ意志を揺
らがせにしていなかった。
「相変わらず、生意気な目だ。」
 ロベリアは鼻を鳴らし、グリシーヌの前に立ちはだかった。ジャラ、と右手につけた鎖がささやかに自己
主張する。
「この際、はっきり言っておいてやるよ。
 嫌いなんだよ!
 仲間がどうのとか、それ以前だ!
 お前の面なんて、みたくもない。
 金輪際、アタシに関わるな!」

 ギィ、蝶番が軋む音がして、薄暗いステージホールにロビーから来る自然光が差し込んだ。開かれたドア
から顔を出しているのは、エリカと花火とシーだ。
「ロベリアさん、そんなに怒ってどうしちゃったんですか?
 凄い音がしましたけど・・・。」
 尋ねるエリカの声は不安げだ。エリカに続いて、花火とシーの二人もホールに入ってくる。
「うわぁ、すっごいお酒の匂い。
 ロベリアさんどれだけお酒呑んだんですかー?」
 シーは呆れた様子だ。ロビーからだと、店が閉まっているこの時間帯は、バーカウンターの辺りは、テー
ブルに上げられた椅子のせいで見えない。だからだろう、エリカはいつも通り、ロベリアの首に抱きついた。
「ロベリアさーん!」ロベリアの背中に顔を埋めて発した声もやはり、いつも通りで甘ったれている。
 しかし、ロベリアは無反応だった。エリカが背中に張り付いていることに、気付いていないのかと思わせ
るほどに。エリカはその時になって初めて、辺りを見渡した。そして、はっとなって動きを止める。
 視線がガラスの飛び散るバーカウンターに釘付けになる。
「ロベリアさん、お酒を飲んでたんじゃなくて、
 壊してたんですか・・・?
 なんで、」
「グリシーヌ!」
 呆然とした様子のエリカの脇を、花火がすり抜けて行った。
「グリシーヌ、どうしたの・・・、
 こんな、こんなに怪我して。」
 花火はグリシーヌの隣に膝をついて、肩にそっと触れた。その声も、指先も震えている。ロベリアは無言
でエリカを押しのけて、ポケットに手を入れた。そして、やや高圧的な口調で花火に向けて言い放つ。
「アタシがやったのさ。
 あんまりにもそいつに聞き分けが無いもんだから、わからせてやろうと思ってなぁ。」
 よく通る声だった。エリカとシーは一瞬、何を言われたのか判らなかった様子ですらあった。だが、花火
は違う。花火の剣幕が鮮やかに変わる。
「酷いじゃないですか!
 聞き分けって、そんな・・・っ。
 グリシーヌとロベリアさんの仲がよろしくないことは知っていますけれど、
 それでも、こんな怪我をさせるなんて!!」
 声をところどころひっくり返らせながら、花火が怒鳴った。花火が声を荒げることなど、今までになくて、
エリカですら、その雰囲気に呑まれていた。頼りなげな様子で、一歩退いたところに立ち、花火とロベリア
を交互に見つめる。
「あぁ、そういう酷い奴だから、仲間として扱ってくれるなって、
 お前からもそいつに言い聞かせてやってくれないか?
 そいつに目の前をうろちょろされると、いらついて仕方ないんだ。」
 吐き捨てるような口調。ロベリアの声は冷たい。花火は歯噛みし、口を噤んだ。
「ロベリアさんなんでですか!
 昼間の戦闘でロベリアさんのことを庇ってくれたのは、グリシーヌさんじゃないですか!」
 エリカの声は悲痛だった。叫んでいたと言ったって言い位だった。
 一秒きっかり、ロベリアは目を閉じた。ほんの少し長いだけの瞬きだ。昼間の戦闘、なんてことは無い。
なんだか知らないが、ポーンが気まぐれのようにちょっと街を破壊しているから、ちょっと相手をしてやっ
たくらいの、なんてことはない戦闘だった。ボーナスなんて期待できないような、詰まらない戦闘。
「ああ、そうだったねぇ。」
 振り抜かれるポーンの槍と、飛び出してくる青い機体。間に合わないと知った搭乗者は、ノーガードで攻
撃を受けると同時に、戦斧が振り下ろされて沈黙するポーン。次いで入った通信は音声のみでの怒鳴り声。
「だからさ。
 こんなガキにあんな真似、何度もされたんじゃかなわないからね。
 釘を刺してるのさ。」
 ロベリアはグリシーヌを見据えた。
「お前さ、もう一度言っておいてやるよ。
 弱いんだからすっこんでな!」
 ガタン、と椅子を払い、花火を押しのけて、グリシーヌが立ち上がった。端正な眉を怒りに歪ませ、怒声
を張り上げる。
「ロベリア!
 それ以上、侮辱してみろ!
 ただでは置かんぞ!」
「は!
 どうただでは置かないんだ、聞かせて貰おうじゃないか。」
 ロベリアはそこで、ずいっとグリシーヌに近づいて、彼女の胸倉を掴みあげた。鼻先にまで顔を近づけ、
はっきりとした口調で宣告する。ブルーの双眸が、食い入るような眼差しを向けて来ていた。
「いいか、アタシはアンタが嫌いなんだ。
 頼むから、もうアタシの目の前から消えてくれよ。
 目障りで仕方ないんだ。」
 青い目が、ぐらりと揺れた。その顔に微笑んで、ロベリアは手を放して、グリシーヌの胸をとん、と押し
た。
「くっ。」
 不意の行動にグリシーヌは体勢を崩し、上体が傾いだ。すぐに気付いて、彼女の足はそれに逆おうとする
が、抗いきれずに後ろに倒れかかる。それを花火が抱きとめた。細い腕が、グリシーヌの体に回される。
「ロベリアさん。」
 花火が咎める様に彼女の名を呼んだ。ロベリアはその声にくるりと背を向けると、ロビーの方へ歩き出し
た。エリカの横をすり抜ける。彼女は無言のまま立ち尽くしていた。シーの姿は見えなかった。大方、誰か
人を呼びに言ったか、そうでなければ医務室に駆け込んだかのどちらかだろう。どちらでもいいし、多分、
両方だろう。
 開け放たれたままの扉に手をかけたところで、ロベリアは肩越しに振り返った。椅子に邪魔されて、満足
に見えたのは、エリカの後姿くらいなものだった。
「ああ、花火、一応言っておくけどな、
 アタシが殴ったのは顔だけだかんな。」
 ロベリアの背後で扉が閉められていく。そこから漏れていた白い光を、グリシーヌは睨みつける。細くな
り、やがて消える瞬間まで。もう、既にロベリアの姿は、扉の先にさえ、見えなくなっていた。グリシーヌ
は頬に張り付いた髪の毛を手で払い、微笑んだ。
「私も、嫌われたものだな。」
 扉の閉まる音は、生涯打ち破られることのない壁の建立を記念した。





































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あとがき