「完全無欠の花嫁でしたっけ、まだ探してるんですか?」
エリカが尋ねると、グリシーヌは読んでいた本を閉じて、エリカに向き直った。図書館の
中なので、よく通る声も今は潜められている。
「花嫁など探しておらん。
 婿だ、婿。」
正すと、エリカは「そんなのどっちだって一緒じゃないですか。」と真理を突いているの
かただよく判っていないだけなのか、いまいち判断を付けにくい返事をした。
「それで、探してるんですか、探してないんですか。
 どっちなんですか?」
ずずいっと詰め寄るエリカに、軽く気迫負けをして、グリシーヌは口ごもらせた。
「いや、私は別段、探しているわけではないが。
 タレブーの奴が未だに見合いの写真を寄越してくるのは確かだ・・・。
 それがどうかしたのか?」
しかし、エリカはむーん、と低い呻り声を上げながら、何事かを悩み始めた。その呻り声
がいい感じに館内に響いて、他の利用者から芳しくない視線を集める。
「エリカ、うなるな。
 他の人に迷惑であろう。」
「グリシーヌさん、そもそも、完全無欠ってどういうことですか?」
突然うなるのをやめたかと思うと、エリカは未だ嘗て3回くらいしか見たことのない、至
極真面目な表情で、グリシーヌを見据えた。
「完全無欠とは、つまり・・・、
 非の打ち所がない輩ということだが。」
不意打ちを食らった形になって、思わずたじろぎながらグリシーヌが答える。しかし、エ
リカはその答えに満足していないようで、グリシーヌのほうに身を乗り出して、熱く語る。
「でも、全知全能なるものは主なる父ただお一人ですよ!
 それに、非の打ち所がないって、
 完全無欠から言葉を摩り替えただけじゃないですか。」
「きょ、今日はやけに鋭いな・・。」
予期せぬエリカの知性溢れる発言に、グリシーヌは完全に圧倒されていた。エリカの話は
佳境に突入したようで、声のトーンは一段上がり、心なしか頬がピンクに染まった。
「完全無欠の花婿なんて、いません!
 ですから、
 エリカをグリシーヌさんの、――――!!」
そのとき、ぽん、とエリカの肩に、後ろから誰かの手が置かれた。
「他の方の迷惑になりますので、
 大声で会話をするのはお控えください。」
あ、はい、ごめんなさい・・・、さっきまでの調子は何処へやら、エリカはひょろひょろ
とか細い声で返事をすると、グリシーヌが声を掛けるのも聞かずに、図書館を出て行って
しまった。
「・・・何が言いたかったのだ?」
後に残されたグリシーヌは、ひたすら首を傾げるばかりだった。


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004 : だってグリシーヌさんが他の人のものになるなんて許せないんです。










開店前の楽屋には、今日、メインでレビューをする二人がとりあえず形の上では集合して
いた。といっても、メンバーの体調不良が重なって、当初の予定とは違う二人組みだ。
「コクリコはどうした。」
ヒビのいった丸めがねをかけた女性が、今しがた入ってきた少女に問いかけた。その声に
はたっぷりと険が含まれていて、少女の返答にもまた、棘が生まれる。
「コクリコは熱を出したらしいと、聞いておらんのか。
 エリカの奴も看病をするといっていたから、
 今日のレビューは私たち二人だ。」
トップダンサーが4人というのは、多いのか少ないのか知ったところではないが、目の前
の人物と二人というのが、どうにもロベリアには承服し難かった。それは向こうも同じよ
うで、先程から憮然とした表情を崩そうともしない。
と言っても、仕事は仕事だ。相方がどんな奴であれ、きちんとこなすのが筋と言うものだ。
そして、そこらへんも向こうと同じようで、グリシーヌは話をし易い位置まで来て椅子に
座った。
間に開いた、椅子一個分の距離というのは、まあ妥当なものだろう。
「レビューの打ち合わせをするぞ。
 突然の変更があったとはいえ、妥協することはできんからな。」
宣言すると、グリシーヌは自分の演目の流れを先ず説明しだした。ロベリアは最近、シャ
ノワールに出入りするようになったばかりなので、未だにグリシーヌと舞台に立ったこと
がないからという気遣いだろう。普段はこちらに対する嫌悪を隠そうともしないというの
に、不思議なものだ。
「ロベリア、聞いておるのか?」
Ouiだの、Bonだの、適当に相槌を打っているのが気に食わなかったらしい。グリシーヌの
青い眼が、ロベリアを覗き込んでいた。真っ青な眼は爽快な色で、なんとなくそそる物が
あった。何をそそってるのだかは、いまいち判らないけれども。
「ん、あぁ、続けろよ。」
釈然としない顔で、なおもロベリアの顔をじっと見ていたが、もう一度、「続けろって。」
と言うと、話を始めた。グリシーヌがはけるタイミングと、ロベリアの登場についてのこ
とだった。
右肩に纏めた金髪が数本滑り落ちる。ムカつくガキだが、そう、根性は腐ってない。馴れ
合いたい奴でもない。奴でもないが、そう――――。
「本当に聞いておるのか?
 中途半端な心構えで舞台に立つと言うのなら、」
関係のないことを考えているのが、わかっているのだろうか、むっとした顔をしているグ
リシーヌに、しかしロベリアはごまかしの言葉を返す。
「聞いてるって言ってんだろ?
 いちいち怒るんじゃねぇよ、うるさいな!」
「うるさいとは何だ!
 貴様がそのような不真面目な態度で居るのが悪いのであろう!」
怒り出したグリシーヌに、ロベリアは思考を打ち切って、面倒くさそうに向き直った。


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005 : あー、やっぱりムカつく。










「おい、そこのムカつく貴族。」
吐き捨てるように声を掛けると、金髪の少女がしかめっ面をして振り返った。睨みつけて
くる眼差しにはありありと怒りが込められていて、ロベリアは思わず唇を歪めた。
「それは私のことか。」
薄暗いシャノワールのホールには、グリシーヌとロベリア以外に誰の姿もなかった。先程、
シーは外に買い物に出かけるのをロベリアは眼にしていた。
「お前以外に誰が居るっていうんだい?
 グリシーヌお嬢さま。」
貴様、と気色ばむグリシーヌの腕を掴んで、ロベリアは無理矢理彼女を引き寄せた。
「花火にはやけに従順なのになぁ。
 どうしてアタシにばっかりは噛み付くんだか。」
おどけたように言って見せると、グリシーヌの目付きが一段と険悪になったが、ロベリア
は意に介さなかった。空いている手で、グリシーヌの顎を掴むと、自分の方を向かせた。
「何のつもりだ。」
低い声を出すグリシーヌに、ロベリアは素っ気無く答えた。
「女の顔を上向かせる理由なんて、一つしかないだろ。」
怪訝な表情を見せたグリシーヌの口を有無を言わせずに塞ぐ。硬直する一瞬。しかし、直
ぐに気がつくと、ロベリアの肩を押し返す。
「き、さまっ。
 いきなり、何を・・・!」
叩きつけてくる声に、このときばかりは狼狽が表れていて、ロベリアは口の端を歪ませた。
思ったとおりに反発してきたことが、あまりに可笑しくて仕方がない。気付いている、歪
んでいると思う。でも繰り返さずには居られない。
押さえつけて反発させて、それを力づくで組み伏せてやりたい。
「何って、キスだろ?
 こんな挨拶程度で、そんなにうろたえんなよ。」
「先程は、随分な挨拶をしてくれたというのにな。
 一体、貴様は何がしたいのだ!」 
こんなにムカつく奴なのに。
ロベリアは言葉を返さずに、片手で彼女の頭を捕まえた。そして、柔らかい唇をこじ開けて、
舌を差し込む。並びのいい歯列、無垢な舌先。小さな、悲鳴だかなんだかわからないものが、
隙間から漏れた。

「・・・いってぇな。
 噛むことはないだろ。」
にや、とロベリアは笑って見せたが、グリシーヌはきつ、と睨みつけると、そのまま何も言
わずに駆け足でホールを出て行った。振り返りもしない。扉を閉める音が、鈍く響いた。
後に残されたロベリアは、フン、と一度鼻を鳴らすと、踵を返して、自室へと戻る。
唇は、ホールを出る前に、袖で強く拭った。


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006 : 香水の匂いが、口の中に残っていた。