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普段と同じ調子で閉めたつもりだったのに、ドアは爆発音にも似た大きな音を立てた。
はしたない事だ、と内心で舌打ちをし、でもやはり、胸の中では怒りが渦を巻いているよ
うで、ずっと苛立っていた。ブルーメール家の次期当主が、そうそう怒って当り散らして
いるようでは、外にも内にも立つ瀬がない。思い返せば、ここ数日はメイドにもきつい態
度を取っていたような気がして申し訳なく、多分、この後タレブーが部屋に来るだろうな、
と思った。
でも、そんなことに構っていられる気分ではなかった。
頭の中をぐるぐる回っている、昼間のやりとり。新隊員がどうのとか、いい加減にしろと
怒鳴りつけたい。誰も何も知らないくせに、あまりに過ぎた干渉をしようとする。
「花火。」
彼女をもう、傷つけさせたりなどしない。絶対に。
決意と言うには、あまりにも幼稚だと気付いている。でも、どうしていいのか、未だに判
らない。あれからもう、一年も経ってしまった。何も出来ないまま。
グリシーヌは口元を両手で覆って、眼を硬く瞑った。電気はまだ点けておらず、カーテン
すらも引いてはいない部屋に、月明かりがぼんやりと差し込んでいる。掌が青い。

このまま、何も出来ないまま過ごして行くしかないのだろうか。
思い出の中で生きる彼女が、
いつか私の中でも、思い出になってしまう時まで?

コツ、コツ、コツ、と廊下を聞きなれたリズムで近づいてくる足音がある。タレブーだ。
グリシーヌは顔を上げた。くるりとその場でターンをして、壁にある電気のスイッチまで
歩み寄る。舞い起こった風を、うっとうしそうに払い触れたスイッチには、金属らしい冷
たさがあった。
電気を点けて、明るく照らし出された室内を見るのがなんだか億劫だった。明かりを点け
ることで虚構だった現在が現実へと引き戻され、眼を逸らしたい事柄が、煌々と照らし出
されて目の前に突きつけられる気がする。その前に、自己の意志を確認する。光の下でも、
決して忘れないように。無力感の支配から、逃れることは出来なくとも。

花火。
お前が記憶に埋もれていってしまう。

「お嬢さま、よう御座いますか?」
タレブーの声が、ドア越しに聞こえた。グリシーヌは壁のスイッチを叩き付けた。俯いて
いると、影が顔を覆った。

そんなのは嫌だ。


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007 : もう一度、お前と生きたい。










「新聞をくれるか、ローラ。」
微笑んで手を挿し伸ばし、グリシーヌはメイドの一人に催促をした。ローラはその言葉に
面食らったようで、言葉を詰まらせてグリシーヌの顔を見た。ごく、と無意識に自分が唾
を飲んだのが判る。メイドである自分の、主人であるところの彼女は自分よりいくつも年
下で、貴族としての自覚と威厳を兼ね備えた人物ではあったけれど、まだ子供っぽい表情
をしていた。
子供時代と言うものに如何なる定義を与えるかは人によるだろうけれども、少なくとも、
しかし、今、彼女が浮かべている微笑みは、誰しもが定義しうる子供時代という区分の中
にある人間がするような表情ではなかった。
あの不敵で、自信満々な笑顔はなくなったのだ。彼女の中から。今あるこれは、まるで、
決められた笑顔というラインに沿って、作り上げているかのようだった。
ローラはグリシーヌから目を逸らしたくなった。でも、グリシーヌの青い目は、まっすぐ
に見つめてきていて、目を閉じることすら出来ない。
「今日は休刊日ではないだろう?
 普段読んでいるのと同じ新聞でよいのだ。
 用意してもらえないか。」
ローラは口ごもり、言い訳にもならない言い訳をする。もちろん、新聞は今日も発行され
ているし、グリシーヌの読んでいない、昨日の分や一昨日の分もきちんと取ってある。
「確かに取ってありますが、
 お嬢さまがお目通しするような記事は何もありませんよ。」
この青い目を前に、嘘をつくのは難しい。いつだって。でも、どうしても、グリシーヌの
興味を殺ぎたかった。どうしても。誰が好き好んで、事件の当事者に、手酷い非難の記事
を見せる。
ローラは知らず知らずのうちに、唇の端を噛んでいた。眉間には皺が寄っていて、だから
だろうか、グリシーヌは表情を和らげた。
「ローラ、いいのだ。
 私はそれが知りたくて読むのだから。」
そう告げたグリシーヌは口角を上げてなんともたっぷりとした、おそらく屋敷の誰もが愛
しているだろう笑い方をした。それが妙に心苦しくて、居た堪れないような胸の詰まる気
持ちにローラをしたが、やはり彼女には新聞を持って来る他なくて、一礼をすると踵を返
した。
新聞は決められているところに整然と置かれていた。3誌のどの紙面にも、同じ名前が載
っていた。同じ事件が載っていて、そして、それらのどれもが、ローラに「死人にくちな
し」という言葉を思い出させるのだ。
だから、なるべく書き口が穏やかなものを選んだ。
手にしたら、新聞に不恰好な皺が付いた。その時になって、ようやく、自分の手に余計な
力が入っていたことに気付く。
ほんの数日前、親友の結婚式に発ったあのまだ少しあどけなさを残した、満面の笑顔はな
い。内に篭ってしまうような人ではないことなど判りきっている。そして、何事にも立ち
向かう人だということも。
内に篭ってしまえ等とは言わない。立ち向かわずに、逃げ回れなんて言わない。何も知ら
なければ、何かを守ることなんて出来ないのはわかる。でも、親友はきちんと連れ帰った
ではないか。婚約者は目の前で海に消えてしまったそうだけれども。
それで十分ではないの?
今あなたが、潰れずに立っている事ですら、誰にも到底真似できないことでしょうに。
これ以上、荷を背負い込んでどうしようと言うの。
荷が勝ちすぎるわ。
もっと楽に生きたって、誰もあなたを責めはしない。でも、そう。あなただけが例外。


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008 :そして、 あなたはきっと潰れても、荷を放り出したりはしないのでしょう。










「旦那様と奥様は、
 無事、ノルマンディーの本宅に到着したと連絡がありましたザマス。」
そう告げると、グリシーヌは「そうか。それはよかった。」と口元を歪めた。火急の事と、
自動車で駆けつけたグリシーヌの両親は、しかしやはり、どうにも外せない用があると言
ってここ巴里のブルーメール邸を発ったのは今日の昼過ぎのことだった。
いや、本来的にはどんな用事も、ブルーメール家の位を持ってすれば、些事と片付けるこ
とが出来たのであろうし、実際、二人もそうするつもりだったようなのだが、グリシーヌ
は大丈夫だ、と微笑み、貴族が貴族の務めを忘れてはならない、と諭したのに負けて、帰
路に着くのを選んだのだ。
もう日は地平の彼方に沈もうとしている。窓の外に目を凝らすと、太陽の光が残滓となっ
て、夜に飲まれていく空を彩っていた。紺碧の夜空に、気の早い星が一つ、真っ白く輝い
ている。
「花火は?」
ぽつりと、グリシーヌが尋ねた。
「お変わりないザマス。」
タレブーの返事に、グリシーヌは先程と同じ調子で「そうか。」と漏らした。先程からタ
レブーに向け続けている背中はいつもと変わりないように見えた。ブルーメール家次期当
主に恥じない、堂々たる背中だ。
彼女は貴族だ。それはいつだって揺ぎ無い。それが彼女の誇りであり、貴族である己に課
した義務なのであると、タレブーはそう理解している。もちろん、彼女の教育係でもある
自分が彼女にそれを望んだのでもあるし、ブルーメール家に関わる人間すべての期待だっ
たとも言える。
でも、いつ如何なるときでもそうあって欲しいと、思っているわけではない。
「もう、真っ暗ザマスね。」
誓って。
外から差し込む光はもう、星明りに変わっていた。薄く開いた窓から入ってくる風は、宵
の匂いを孕んで冷たい。電気も点けていないグリシーヌの自室は、青白い明かりだけで成
り立ち、窓の形に切り取られた光の丁度縁が、青い靴のつま先に掛かっていた。
「ああ、そうだな。」
余計な気回しを、とグリシーヌがぽつりと言った気がした。けれど定かではなく、タレブ
ーは沈黙で答えた。そうすると、そう、やけに静かになって、息苦しい空気に変わったよ
うだった。ただ、グリシーヌの次の言葉を待つという、それだけの為の蟠り。紡がれる言
葉はない。星の数ばかりが紺碧の夜空に増えていく。
「勘違いするな。」
いつになく、静謐な声だった。タレブーは黙し、グリシーヌの背を見つめる。体側に、項
垂れている左腕には、白い包帯が巻かれていた。右手で、グリシーヌは包帯が巻かれた部
分をぎゅっと握り締めた。
「辛いのは私ではない。
 花火だ。」
宣言するかのように、はっきりとした声だった。でも独り言なのか、タレブーに話してい
るのか、タレブー自信にもよく判らなかった。ただ息を殺すようにして、グリシーヌを見
つめる。青く霞んだ背中を。
「そうだろう、タレブー。」
グリシーヌが左腕を抱えて俯いた。右手の指は左腕に食い込んでいた。
振り絞るような声が、弱弱しく宵闇を揺らす。グリシーヌが左腕に巻いた包帯の下には何
があるのか、タレブーは知っていた。痣だ。手の形をした痣。青紫色の痕は、グリシーヌ
の手よりも少し小さい。
「お嬢さま。」
月明かりの作る逆光に目を焦がし、タレブーはグリシーヌの首に腕を回した。数年振りに
抱いた背中は、記憶の中よりも大きくて、でもまだ、腕の中にすっぽりと収まってしまう。
愛しいぬくもりは、顔に触れるタレブーの腕を握り締めた。
「なあ、そうだろう?」
震える声が、震えまいと必死で抑えているのにも関わらずに震えている声が、タレブーの
頬に触れた。袖が、温かい何かで、濡れた。
「そうだろう? タレブー。」


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009 :