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「なんだ、あの小うるさいのは、今日は一緒じゃないのか。」
唐突に掛けられた声に、花火は弾かれた様に振り向いた。沈んでいく日に重なる様に、声
の主は立っていた。西日を横顔に受けて、銀髪を赤く燃やしている彼女は、巴里の悪魔だ。
悪魔みたいに、美しい。切れ長の灰色の目は、川面の乱反射を写し、表面を揺らめかせて
いる。
「ロベリアさん。」
花火は彼女の名前を呟いた。思わず、唇から漏れたと言った方が正しい。こんな、橋の上
で会う等とは想像もしていなかったので、内心は随分と驚いていたのだ。花火は一呼吸取
り、いつもの調子に整えて答える。
「グリシーヌは何か用があるみたいでしたから。」
小うるさいの、と言われてグリシーヌは、と返事をするのも可笑しな事だと思ったけれど。
ロベリアが名前も呼ばずにぞんざいな口調で話題に上らせる人物と言ったら、グリシーヌ
以外思いつかないのも事実だった。
ロベリアはぽつりと、
「そうか。」
と答えた。
もう日が暮れようという時刻。宵が花火の背中から迫ってきていた。足元をすくう風は冷
たい。花火はその感触に、人には判らぬ程度に顔を歪めた。何処かの民家から、夕食の匂
いが流れてくる。まだ花火の腰くらいの身長しかないような子供達が数人、もつれあうよ
うにふざけながら、隣を駆け抜けていった。花火はその様子に、ふふ、と声を零して微笑
む。
「子供というのは、無邪気で可愛らしいものですね。」
 そうしたら、いつの間にかこちらを振り向いていたロベリアが、呆れた顔をして言った。
「アタシにとっては、アンタもまだ子供だけどな。」
子供達の声が足音と共に遠ざかっていく。背後に。家に、夕飯でも作って待ってくれてい
る家があるのだ。これから訪れる宵闇の中、皓々とした明かりを灯して。
「そうかもしれませんね。
 私にはまだ、学ばなければならないことが、たくさんありますから。」
 花火がそう言って目を伏せるのを、ロベリアは欄干に寄りかかりながら見下ろした。
「ちょっと前は、あんなに辛気臭かったってのに、
 随分と前向きになったもんだな。」
あの子供達が帰っていくような家に、今はもう、記憶の中でしか帰っていけない。懐かし
さや恋しさを覚えるほどに、灯火の下にいたわけではない。だというのに、時折、都市を
守っているということを意識して、何か、思い出せそうな気がするのはきっとそういうこ
となのだろう。
そして、灯火を失うというのも、やはり、そういうことなのだろう。
「はい。
 フィリップが助けてくれたこの命を大切にしなければと。
 そう、教えていただきましたから。」
誰にとは言わなかった。でも、それが誰なのかは明確なようだった。ロベリアは黙って、
欄干に凭れ掛かるのをやめた。右腕の鎖がやかましく啼く。睨みつけた先の太陽は、家々
の陰になって見えず、もう真っ青になった空に一抹の緋色を彩っていた。遥か上空にある
層雲は、西を夕日の色に、東を夜の色に染めている。
 太陽の傍、アパルトマンの屋根の上に、金星が輝いていた。
 空で一等最初に光りだす、
「とんだ、友情ごっこだな。」

 孤独な星だ。

花火が、え、と漏らした。聞き逃したらしく、
「すみませんが、なんとおっしゃったのですか?」
と尋ねた。だがロベリアは花火の方に見向きもしなかった。背を向けて、橋の残りを渡り
だす。花火は追いかけて来なかった。小さな橋は、歩き出したと思ったらもう河岸だった。
街灯のつき始めた路地に、子供の姿はない。かわりに見上げたアパルトマンからは、電灯
の明かりが見えた。何件も何件も、たくさんの窓から光が路地に差し込んでいる。夕日に
紛れて、それでもなお鮮明に。シャノワールにはない、垢抜けない料理の匂いが夜風の合
間に漂ってくる。

 あの明かりを失うということ。
 自分を包んでくれるはずだったのに、目の前で潰え。

 その真っ暗闇の中で、ただ一人、死んでいたと零す。


「滑稽だな。
 本当に、お前は滑稽だよ。」


 太陽は地平線に没して、
 頭上の雲ばかりが、恐ろしいほどに赤々としていた。
 もう、西の空に眩しさはない。

 ロベリアは西の空にある、一等最初の星を嗤った。


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010 : かわいそうな金星










「こちらに残ると決めたというのに、
 いつまでも客間というわけにもいかんだろう?
 東向きの部屋だ。
 日当たりは保障するぞ。」
グリシーヌはそう言って破顔した。しかし、グリシーヌが語りかけた筈の少女は曖昧に微
笑んだだけだった。あまり気のない様子だ。だがそれをグリシーヌも気にした様子はなく、
少女の、花火の手を引いて廊下を歩く。屋敷の東側の廊下をまっすぐ奥に向かう。手入れ
の行き届いたそこには、二つ分の足音しかしない。メイドは脇に控えて、二人を通した。
「ここだ。
 しばらく使っていなかったが、掃除の方はしてあるから安心していいぞ。」
ドアノブをひねって、グリシーヌは花火を部屋に通す。花火はグリシーヌに手を引かれる
ままに、敷居を跨ぐ。
東向きで日当たりがよい、というのはまさに本当だった。大きな窓から、日の光が燦々と
降り注いで、置かれた一組のソファを暖めていた。必要な分の調度品はあるが、必要以上
にはない無個性な部屋だ。
「寝室は奥の扉だ。
 困ったことがあったら何でも言うんだぞ。
 すぐに、何とかしよう。」
そういいながら、グリシーヌは花火の手を離すと、部屋の真ん中に立った。グリシーヌの
部屋を抜かせば、屋敷で一番広い居室だ。調度品が少ないのも相俟って、とても広々とし
ているように感じられた。グリシーヌは手を広げ、窓の方を向いた。
「花火はタタミが好きだったな。
 この部屋にもタタミを敷こうか!
 あとは、なんだ?
 日本と言ったら・・・・、サムライは流石につれては来れんからなぁ!」
にっこりと微笑んだグリシーヌが、花火を振り向いた。
「花火はどうしたい?」
グリシーヌの頬のラインが、陽光に晒されて白く輝いている。日差しに透ける金髪が、笑
うのにつられて揺れる。花火はドアの傍に立ったまま、眩しそうにグリシーヌを見上げた。
「私はやはり、タタミを敷くのが一番だと思うのだがな。
 でもそうなると、あの暖炉が似合わないな。
 日本ではヒバチとやらを使って暖を取るそうだが。
 しかし、ヒバチは良いにしても、スミをどう用意していいものやら―――。」
大仰な身振りでグリシーヌは顎に手を当てて思索する。その間中、花火はただ微笑んでい
た。薄い薄い微笑みは、先程から微細な変化すら見せない。グリシーヌのことを、はるか
遠くから見つめているかのようだった。
「巴里にもスミ屋があればよいのにな。
 これでは、自分達で作るしかないではないか。
 なあ、花火?」
グリシーヌは笑顔で花火を見つめた。でも、直ぐに返事をしてはくれなくて、グリシーヌ
は「困ったものだと思わないか?」ともう一度、呼びかけた。
そうしたら、やっと花火から反応が来る。返ってきたのは、目を伏せる仕草。花火の頬に
影が掛かった。

「あなたは強いのね、グリシーヌ。」

グリシーヌの表情が、不恰好に歪んだ。


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011 : 断絶にして拒絶。










「グリシーヌさんと花火さんって、いつからお友達なんですか?」
エリカの唐突な質問に、花火は小首を傾げた。
「寄宿学校のときからの親友ですけれど・・・。
 そうですね、初めて会ったのは、
 私が3歳の頃、ちょうど仏蘭西に来たときに一度、会っているそうです。」
自分のことなのに伝聞口調。まあ大抵、2歳や3歳のときのことなど覚えていないという
のがセオリーというもので。当時2歳だったグリシーヌはもちろんのこと、渡仏した当初、
多くの人に挨拶をする父について回った花火もまた、初対面のことを記憶の底に埋もれさ
せてしまっていた。
「覚えていないんですか!
 もったいないですねー。
 反抗期のグリシーヌさんなんて、プリン10年分より貴重ですよ!」
比較対象がプリンってどうなの、と一瞬、そんな疑問が頭を掠めたが、エリカに対してそ
れは愚問だ。
「もったいないですよね。
 あのとき、グリシーヌはまだ、
 一人で着替えも出来なかったらしいんです。」
花火がそういうと、今度はエリカが首を傾げた。あの、なんでもこなしてみせるグリシー
ヌが、一人で着替えもできない、という状況を想像できないのだ。それは、誰にでも赤子
だった頃があるというのは判っているのだが、頭がついていかない。
「グリシーヌさんが釦を留められなくて困ってるところなんて、
 なんだか想像つきませんねー。
 いつも、『全力を尽くせ! 人に頼るのはそれからだ!』
 なーんて感じなのに。
 エリカ、ショックですー。」
似てるんだか似てないんだか判らないモノマネを交えつつ、エリカが言う。すると、直後、
エリカの真後ろから低い声が響いた。
「何がショックだ!
 エリカ!
 お前にだってそういう時期があっただろう。
 それだというのに、人のことばっかり聞いて、勝手なことを申すな!」
「わ! グリシーヌさん!!」
驚いたエリカが反射的に立ち上がった。慌てて振り返ると、険悪な顔をしたグリシーヌが
立っていた。エリカは申し訳なさそうに控えめに、グリシーヌを上目遣いで見上げる。
「こ、こんにちは、グリシーヌさん。
 ごきげんうるわしゅう・・・。」

背中の方で、花火が小さく声を上げて笑った。


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012 : ただの知的好奇心・・・・・で・・・すよ・・・。