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 手の中で、グラスが氷と触れ合った。澄んだ音色に、ロベリアは満足げに目を細める。琥珀色の液体は
薄暗い店内で、ひっそりと光を湛えている。ルージュを引いた唇にグラスを近づければ、鼻先を豊かな芳
香が掠めた。熱い息が零れる。カウンターでレナードがグラスを磨くより他、何ものも波紋を投げ掛けな
い静謐さが二人だけの店内に横たわっていた。
 この瞬間までは。
「ロベリアぁぁあ! 昼間から酒とは何事だぁ!」
 怒鳴り声と共にドアが思いっきり開かれた瞬間、ロベリアはブランデーを吹き出した。
「うるっさいんだよお前はぁあああ!!」
 空になったグラスを勢いよくテーブルに叩き付け、ロベリアは身を翻し立ち上がった。開かれた扉から
差し込む昼の日差しを背に受けて、金髪の少女が仁王立ちしていた。
「お前ではない! 私はグリシーヌ・ブルーメールだ!」









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 グリシーヌは後ろ手に扉を閉めると、橙色の光が点されただけの店内を風を切って歩いた。レナードが
カウンターの奥で珍しくぽかんと口を開けているのを横目に、ロベリアは椅子を蹴飛ばし彼女に肉薄する。
「てめぇみてぇなのが来る場所じゃねぇんだよ!
 さっさと家に帰んな!」
 真上から見下ろし人差し指を突きつけると、グリシーヌは右手でその手を払った。背筋を伸ばしロベリ
アを睨めつける。
「貴様こそせめてねぐらに帰って大人しくしておったらどうだ、昼間っからのんだくれおって!
 自覚が決定的に欠けている!!」
 決して広くはない店内に怒声が響く。その声はロベリアの脳天をぶち抜いて神経を思いっきり殴り抜い
た。拳を握り締め右手の鎖を硬く鳴らし、ロベリアはグリシーヌに食って掛かる。
「なんでお前にそんなことまで口出しされなきゃなんねぇんだよ!
 しかもこんなとこまで追いかけてきやがって!
 真っ当に稼いだ金だぜ、真っ当に酒につぎ込んで何が悪いんだよ!」
 喉が罵声に擦り切れてひりひりと痛んだ。しかし、グリシーヌは一歩も退かないどころか更に詰め寄っ
て怒鳴りつけた。
「善し悪しではない! 規律と心構えの問題だ!!
 私だってこんな店に昼間から入りたくはない!
 貴様が酒場に入り浸っているのが」
 巨大な音が鼓膜を叩いた。
 空気を射抜いて壁に染み入るその音に、二人の威勢が途切れる。グリシーヌは弾かれたように、カウン
ターのレナードを振り返った。ロベリアが肩を竦めて席に戻った。
「それくらいにしてもらえるかい、お嬢さん。
 商売悪く言われちゃかなわねーよ。」
 叩いた掌を開き、レナードはそう朗らかに笑った。グリシーヌは慌てて居住まいを正すと、彼に向き直
った。
「す、すまぬ。店主か。非礼お詫びする。
 貴公の仕事を悪く思っている訳では」
「そーだよ、そうやっていつも素直だったらいいんだよ。」 
 ロベリアのヤジに、グリシーヌが彼女に牙を剥いた。
「いいか! 酒場が悪いと言っているのではない!
 自らの職責を忘れて昼間っから呑む貴様をだなぁ!」
 火が付いたように吼えたグリシーヌを、ロベリアが目を見開いて睨みつける。目交いで激しく争う二人
に、レナードは盛大にため息を吐いた。
「はいはい、わかったわかったから、外でやるかどうかしてくれ。
 こっちはまだ開店前なんだから。」
 降参とばかりに腕を大きく頭の上で振ると、ロベリアは舌打ちをし、グリシーヌは鼻を鳴らした。ずる
ずると椅子にもたれかかると、ロベリアはグラスの底に1ミリメートル程残ったブランデーを手に取り眺
めた。溶け出す氷が靄のように模様を描く。
「次の日曜日だ。」
 グリシーヌが言った。
「あぁ?」
 気だるく振り返るロベリアの跳ねた白い髪が揺れた。眼鏡の縁、鮮明な輪郭と不鮮明な世界の間に立っ
たグリシーヌがロベリアを見つめていた。彼女の青い左目だけが、ロベリアにははっきり見えた。グリシ
ーヌが引き結んでいた口を開く。
「次の日曜日に私の屋敷に来い!」
 明朗に言い放たれた言葉に、ロベリアは眉間に皺を寄せた。
「なんでアンタの」
「いいから絶対に来い。
 花火の誕生日会をやるんだ。」
 思わず、ロベリアはグリシーヌを振り返った。両眼で見据えた彼女はいつもの印象の通りに偉そうに仁
王立ちしていた。ただその相貌だけが静かな水面だ。ロベリアの呟きは、勝手に唇から零れ落ちた。
「なんでアタシが。」
 欠片が床に落ちると同時、グリシーヌは力強く言い放った。
「絶対に来いと言ってるんだ!」
 命令口調がロベリアの琴線に触れた。力一杯テーブルを殴りつける。
「それが誘う態度かよ!」
「いいから来い! 失礼する!!」
 だがグリシーヌはそれだけぴしゃりと言い捨てると、それ以上ロベリアに取り合わずに踵を返した。来
た時と同じ勢いで扉を開け放つと、振り返りもせず外に出て行く。甲高い足音が遠ざかるのを聞きながら、
ロベリアは爪を立てて頭を掻いた。
「あーぁ、もうなんだアイツ。うざってぇ。」
 テーブルに突っ伏すと、木目の上に少しだけ散った先程吹き出したブランデーの雫が幾つか震えていた。
キープしていたボトルの最後の一杯が、こんなにも無惨に散ることになるとは思っても居なくて、柄にも
なく落ち込みそうだった。ため息を吐き出し体を萎ませると、小さな忍び笑いが鼓膜をくすぐった。
「何がおかしいんだよ。」
 低く唸り、そちらに視線だけを向けると、拳を口に当てて笑うレナードが居た。
「いや、なにも。」
 ひとしきりくすくす肩を揺らし、レナードはそう答えた。ロベリアは身を起こし、向かいにある椅子に
右足を叩き付けるように載せた。背もたれに右腕を引っ掛けて頬杖をつくと、耳元で鎖がさざめいた。
「可愛い友達が出来たじゃないか。」
 レナードの言葉が、空のグラスだけがあるテーブルの上に転がった。
 ロベリアは琥珀の光の中溶けて行く氷を眺めながら、吐き捨てるよう呟いた。
「気持ち悪いこと言うな。」