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一掬















 雨上がりの小道を駆け抜ける。エッフェル塔の見える坂道を下り、水溜りを避けての大ジャンプは見事に成
功。大きな通りを横断し、古ぼけたアパートの階段を上っていく。アパートの壁は、最初に来た、3ヶ月前と
は変わって、蔦が絡んでいた。
「急いでいるので失礼しまーす。」
 エリカはいつもと同じ台詞を繰り返して、鉄製の外付け階段の3階踊り場で立ち止まり、助走をつけて手摺
を飛び越える。前方1.5メートル、下方2メートル弱の跳躍は成功。なんだか最近倒壊の兆しを見せてきた
気がする家の屋根に着地したけれど、屋根に溜まっていた水が撥ねて、スカートの裾を少し濡らした。あんま
り泥塗れになったら、神父様に怒られるかも、なんて考えが一瞬浮かんだが、エリカは持ち前の気楽さですっ
くと立ち上がると、屋根の他端へと走る。どうせ、まだ、雨垂れはぽつぽつと続いているのだから、濡れるこ
とに変わりはない。エリカにとって、程度は大した問題ではなかったし、先を急ぎたいという思いのほうが、
遥かに大きかった。
 エリカの手の中には、件の猫缶が入っていた。前にくれたお婆さんと今朝すれ違ったときに貰った物だ。こ
の間の缶詰、とってもおいしかったです! と言ったら、なんだかくすくす笑われた。
「にゃんこさんにグリシーヌさん、喜んでくれるかな。」
 いいこととか、嬉しいことが毎日あると好い。とびっきり上等じゃなくてもいいし、たくさんじゃなくたっ
ていい。雨上がりの町並みは、まだ濡れたままみたいな空と、屋根から落ちてくる水滴で、なんだか輝いて見
える。そう、こうやって、いつも町並みが、眩しく見える位に、あれば多分、それで。僅かな間の通り雨。7
月の巴里には、その涼しさが丁度いい。家とか、お店の中から、人がだんだんと出てき始める。気の早い子供
は、もう、ボールを持って外を、公園目掛けて走り出していた。
 最近、とってもいいことがあった。昔は、一人で嫌だなぁ、なんて思っていた華撃団が、この間、とうとう
5人目の花火を迎えたのだ。しっかり者のコクリコに、曲者担当のロベリア、おしとやか重視の花火に、いつ
も真っ直ぐなグリシーヌ。そして、皆を纏める隊長の大神。
 こんなに増えるなんて思ってもみなくて、一人じゃなくなったことがとても嬉しい。
 狭い路地を左に曲がる。でも、浮かれていたせいだろう、エリカは普段は気をつけている筈の街灯に危うく
ぶつかりそうになった。「きゃっ。」小さく悲鳴を上げて、ぎりぎりのところで急停止。しようとしたが、勢
いを殺しきれずに、街灯を抱きしめる羽目になった。即座に濡れる、赤い修道服。
「あいたっ!」
 ついでに自分の足を踏んでしまって、エリカは堪らず俯いた。目尻に涙が溜まって、視界が歪む。ああもう、
本当に、ドジで参っちゃうなぁ。なんて、少し落ち込んで。涙を拭いながら顔を上げると、いつもの場所に、
彼女が座っているのが見えた。長い金髪、細い背中、優雅な物腰。どこをとっても、余すとこなく彼女はグリ
シーヌ・ブルーメールだ。たちまち、自分の顔が笑顔になっていくのが判った。
「あ、」
 エリカはぱっと片手を挙げる。すでに笑顔全開だ。
「グリシーヌさん!」
 薄い雲の間から差し込む光の中、空からはまだ、雨の残りがぽつぽつと落ちてきていた。小鳥は木々の間か
ら囀り始め、路面の水が光を反射させている。雨が止み、溢れ出した活気が、足音を風に乗せてやってくる、
にわかに色付き始めた街の中で。
 走り寄るエリカの足が止まる。足元の水を僅かに跳ねさせて。

 グリシーヌの金髪が濡れていた。目を凝らすと、背中も半ばまで真っ黒く濡れている。それがどういうこと
か、いくら鈍いエリカでも判らないわけが無く。大股2、3歩、小股で7歩か10歩。街灯と背にするエリカ
と、川縁に座るグリシーヌのそれが距離。エリカは手の中で、猫缶を暖める。見つめることの出来るのは、グ
リシーヌの俯いた背中と、手で覆われた横顔だけだ。掛ける言葉は無い。掛けて好いのかも、判らない。真意
すら何処にあるのか判然としない
「・・・・グリシーヌ、さん。」
 声は掠れて、3cmくらいしか前に進まなかった。周りを見ても、にゃんこさんの影はない。猫缶ばかりが、
だんだんと温かくなっていく。グリシーヌがあんな風に項垂れるようなこととは、なんだろうと考える。ここ
最近なんて、嬉しいことしかなかった。絶対、グリシーヌだってそうだろうと思う。何でかは知らないけれど、
そう思う。泣いているのではないかと思う。なんとなく、だけれども、グリシーヌが泣いているところなんて、
見たことが無いけれど。
 もし泣いていたら、声が掛けられる気がした。よく、わからないけれど。縋ってくれているんだって、思い
込むことが出来るからかもしれない。縋るっていう言葉の意味が、全然判らないけど、そんな感じ。
 決意の直後、グリシーヌが顔を上げた。俯いていた頬には、雨垂れなどまるで無い。青い目には迷いも無い。
 一掬の涙も無い。


 大股2、3歩、小股で7歩か10歩の距離だけが在る。





 雨の中、俯いていた理由なんて、きっと教えてはくれない。



















































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あとがき