毛布から、いつの間にか馴れた少し甘いエリカの匂いがする。背中を温める日差しが眠気の粉をそっと
ロベリアに振りかける。この匂いの中、うつぶせで作ったわずかな暗闇の中で、もう寝てしまいたかった。
そうして、いつも通りの気だるい翌日を迎えたかった。
「ねーぇ、ロベリアおねえちゃん。なにかおてつだいとかなーい?」
 5歳児が肩をがくがく揺らさなければ、たぶん5秒でロベリアの願いは叶うのに。
「そうだねぇ、アタシといっしょに大人しく寝ることかなぁ。」
「そんなのおてつだいじゃなーい!
 ねーぇってばぁ!」
 なんでそんなにお手伝いしたいんだよ、お人好しかお前は、お人好しか・・・、口に出すことも出来な
いまま、ロベリアは最後の抵抗にベッドに顔を埋めてただひたすら目を瞑った。頭は5歳だが力は16歳
だ、容赦なく揺さぶられると酷く痛かった。脇腹の火傷に彼女の膝が入っていてそれがまた痛い。
「おねえちゃん、ねーえー。」
 だだをこねるエリカの手がロベリアの髪の毛に無遠慮に突っ込まれた。こうなったらもうお手上げだ。
この髪の毛が彼女のお気に入りに登録されて、もう二日も経つ。彼女が目を覚ましてから五日。ロベリア
には責任を問う相手も、今後を求めるべき相手も居なかった。
 グラン・マは嘆息を一つ零しただけで、何ら応答をしなかった。
『わからないってなんだよ!
 いつ、どうやったらアイツは元に戻るんだよ!?』
 拳で机を殴りつけると、自分の腕の方が砕けてしまいそうだった。肘まで伝う痛みをロベリアは奥歯で
噛み締める。強い痛みくらいしか理性を吹き飛ばしそうな憤りを削る術がなかった。
『もうその議論はしつくした。
 貴様が寝ている間にな。』
 後ろから聞こえたのは、グリシーヌの声だった。最初から澄ました顔で座っていて、今も澄ました顔で
足元に寝転ぶナポレオンを眺めていた。
『それで何もわかんねぇのかよ、とんだ無能だなてめぇは!』
『なんだとっ!!』
 グリシーヌから叩き付ける怒りより、自らの腹の底から生まれて来る激情の方が熱かった。肉も肌も飛
び散らせる熱が腹の中を焼いている。立ち上がったグリシーヌがロベリアに指を突きつける。ロベリアは
痛みの薄れ始めた拳を握り締めた。
『元はと言えば貴様が!』
『やめるんだ!!』
 割って入ったのは、大神だった。グリシーヌの肩を掴んで押さえ、ロベリアを彼は見上げた。真っ黒い
目と視線がぶつかる。
『元はと言えば、俺が悪かったんだ。』
 そうだよ、ふざけんな。大神を睨み返した眼差しで、ロベリアはそう叩き付けてやった。そう、無能が
二人も居たせいだ。クソの役にも立たない指揮をした大神一郎隊長殿と、自分の身一つ守れなかったカス
みたいな隊員が居たせいだ。
 何処にもぶつけようのない怒りが、拳には貼り付いたままだ。ほっときゃそのうち治るだろなんて、最
初に話に聞いた時には思っていたのに。
「ねぇーもうーねえっ!
 むぅー。」
 死んでいる筈だった程の傷を、痕も残らない程に治してもらう必要なんてなかった。あんな鉄くずの中
で死にたくはなかったけれど、傷が残ったって構わなかった。エリカが欠けてしまうくらいなら、そん
 首筋にやわらかい感触が触れた。
「うわぁっ!!!」
 思わず飛び上がると、ロベリアはごろっとベッドを転がって勢い余って床に落ちた。
「あはは! びっくりしたーっ!」
 エリカがころころと笑う。
「ばっ、な・・・んな・・・くそ5歳か・・・っ。」
 手で押さえた首の裏が熱い。心臓が無駄に暴れ回って、バカみたいに顔が熱くなる。そんな自分が情け
なくて、いっそ泣き出したかった。5歳のいたずらは質が悪い。母親とも父親とも始終べたべたする年頃
だし、べたべたすることは生活の一部でなんの疑問もなければ、大人になったらわかるような他意もない。
首筋が無防備だから唇を載せて息を吹きかけるなんて、酷いいたずらだ。
「あー、仕方ねぇなぁもう。」
 後ろ頭をがりがりと掻く。光武から引きずり出された時には随分グロテスクだったらしい頭も右手も、
軽度の火傷しか残っていない。幼い仕草ではにかんで笑うエリカを、窓から差し込む光が淡い輪郭で描い
ていた。
「エリカ、プリン食いに行くぞ!」
「行く!!」
 エリカの表情が眩しい。ロベリアはつられて破顔すると、床に手をついて立ち上がった。ベッドから飛
び降りた膝竹のエリカのスカートがやわらかく膨らむ。薔薇色したカーディガンから伸びる手が、ロベリ
アの右手を掴んだ。
「いこっ!
 プリン! プリン!!」
 エリカの手がぎゅっとロベリアを強く握る。なんの躊躇いもないその強い掌を、ロベリアはそっと握り
返した。
「プリン食べたら大人しくお昼寝な。」
「はーいっ!」