扉は、いつまで経っても開かなかった。
「花火?」
唇から無意識にその名が零れ落ちる。
小さな声は床を転がり、足元に低く流れる雨音に撃たれた。
「花火、どうかしたのか?」
二度、扉を拳で叩いた。
骨を振動が伝い、鈍い痛みが走る。
嫌な気持ちが腹の底の方から沸き上がり、鼓動がにわかに煩く鳴った。
震えそうな息を引き絞り、グリシーヌは耳を澄ませる。
廊下の先にある窓から響いて来る雨音が輪郭もはっきりしないまま大きくなる。
だがそれだけだ。
「花火、入るぞ。」
声を張ると同時に、グリシーヌはドアノブを握り締めた。
屋敷内に焚かれた暖房でも溶かしきれない冬の冷たさがその金属には宿っていた。
扉は抵抗もなく開いた。
蝶番が軋むこともなく。
黒い、夜闇が広がっていた。

雨が口の中に吹き込んで来る。
目は水滴で開くことも出来なくなり、髪は首に頬に貼り付いた。
泥水を蹴り上げ、畳んだままの傘を握り締めて走る。
夜の巴里が、街灯の明かりが溶け出す濡れた道をひたすら、
細切れになる息をさらに引き千切って駆け抜ける。
「---っ。」
昼間行くと言っていた郵便局も、花火が気に入っているカフェももう閉まっている。
思いつく限りの何処にも彼女はいない。
指先が痛み、息が真っ白く染まり、耳が切れそうな寒い冬の雨の中を、
雪に変わりそうな止まない雨の中を、
夜の中を、
花火は何処へ。
何処へ。
「花火っ・・・!」
振り絞った息が声を弾けさせた。
膨らんだ息が自分の顔面に当たる。
歪んだ視界の中で、もう何も形は残っていない。
ただ今朝、彼女が自分へ向けた微笑みだけが、まるで目に焼け残った陽のように視界に滲んでいる。
もう、半年も経ったんだ。
もう半年だ。
もう、

足が止まった。
そこは雨音しかない場所だった。
雨粒が頭を頬を体を叩いた。
体温を奪い、地面に垂れ流して行く。
黒くただ遠い街灯の光を水面に広げるここはまるで、
夜の海だった。
夜の海で、彼女が膝をついていた。
たった一つの墓石に向かって、そこに刻まれた名前に手を触れて。
ただ雨に濡れて俯いていた。
顔も、目も、息遣いも見えないまま、グリシーヌは彼女の後ろに立ち尽くした。
手に持った傘が腐っていく。
腕ごと錆び付いて、動かない。
息を吸い込むと、肺が痛んだ。
目が冷えている。
「かえろう。」
震えた声が街を打つ雨音に混じった。
二歩、ふたりの間は離れていた。
花火は首を巡らせて、グリシーヌを振り仰いだ。
その喉が空気を吐いた。
「居たの。」
緑の目がもう、黒い穴にしか見えない。
笑うことも泣くことも出来なくて、グリシーヌは薄ら唇を開いた。
「あぁ。」
傘の先から水滴が落ちる。