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 頭の上から冷徹を被せ、二つの腕が後ろから首に巻き付いた。薔薇の香りが頬を掠める。熱すら伝わる
 もう一時間だ。懐中時計の短針が、きっかり30度動いている。
 アルコールで霞んで来た目を掌で擦り、グリシーヌは目を瞑る向かいの席の人を見下ろす。目蓋は弧を
描き、長い睫は静かに合わさっている。隣のテーブルでは男達が数人、ビールジョッキを鳴らし合い、カ
ウンターでは背広の男が若い女性に声を掛けている。だが、このテーブルの上だけ、彼女の周りだけには、
時の静止するまどろみがある。
 自分より頭一つ分も背が高く、完全な大人の女性の体を持った寝息を眺める。彼女を担いで帰れないこ
ともないが、こんな夜中に自分の屋敷には戻れない。今日の外泊さえ、相当な労力を裂いて了承を得たの
に、これで夜道を一人で帰ったらタレブーに申し開きのしようがない。
 全て、彼女がいつになく真面目な表情をして顔を貸せと言ったからだ。それが、店に入って一時間も経
たないうちに勝手に深酒をして、勝手に眠りこけるとは思っても見なかった。主が寝ても元気なのは、そ
のクセの強い髪くらいなものだった。グリシーヌは人差し指を伸ばして、その髪に絡める。
「巴里の悪魔が、聞いて呆れるわ。」
 白い髪は思ったよりやわらかく、指に絡んだ。自分の手は、幼い頃から握って来た斧のために、掌は硬
く指は少し太かった。幼い頃、あまりに斧の鍛錬をするものだからと、母に硬くなった掌を握られて強く
窘められたのは、この手を心配したのかも知れないと今になって思う。テーブルに投げ出された彼女の手
は二回り大きく、しかしほっそりとして女性らしいしなやかさが宿っていた。髪も肌も、自分より一層色
はなく、まるで透けている。その柔らかな手に、血を流して怪我をした痕がうっすらいくつも残っていた。
 穏やかに上下する背中に、グリシーヌは呟いた。
「懲役千年なんて・・・馬鹿なことを。」