巴里の城壁跡を越えると、街並は次第に草原へと変わっていった。ル・アーヴルまでおよそ200キロ
メートルを、汽車は5時間かけて進む。この汽車が着くのは、夜九時を回った頃だろう。硬いボックス席
に斜向いに座って、ロベリアは窓の外を眺めていた。景色が背中から前へと流れて、巴里は遠ざかっても
う見えなくなり、どれだけたっただろうか。
 六月の巴里の日は長い。地平の彼方から差す太陽はおそらくル・アーヴルに着く頃もまだ残されている
だろう。安い椅子に早くも痛みだした尻を座り直し、ロベリアは窓枠に頬杖をつく。
「まったく、誰かがぜんぜん金持ってねぇから。」
 わざと聞こえるように呟くと、視界の隅で色の塊が動いた。黙って床板を見下ろしていた眼差しが、初
めてロベリアを向く。
「すまない、帰ったら払おう。」
「ったりめーだよ。
 ていうかアンタの家近いなら、ちょっくら金せびりにいこうぜ。
 そうしたら、帰りは一等客車だ。」
 なるべく軽薄に聞こえるよう言った筈なのに、線路を噛む車輪の音がじゃましてか彼女の琴線には届か
なかった。小さく鼻で笑うのだけ聞こえた。
「うちはバス・ノルマンディだ、ル・アーヴルから半日は西に行かなければ。」
 言って、彼女は頭上を仰いだ。
 古い客車の天井は、過去に雨漏りでもしたのか木の梁に染みが出来ている。
「田舎貴族め。」
 ロベリアはため息を吐き、窓に額を押し当てた。窓に彼女の姿が映るのが見えないように、眼鏡がズレ
ても構わず、遠く遥か後方、霞む地平に目を凝らす。
 あんな汚い天井、そんな目で見ること無いのに。
 汽車は黒煙を棚引かせ、二人を乗せてただただ海へと引っ張っていく。