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 第三話 出航






 貿易港ル・アーヴル。首都を通り流れる長大な川の河口にあるこの港は、国内最大の貿易港だ。巨大な
帆船はまるで城壁のように居並び、欧州から果ては新大陸におよぶさまざまな貿易品がここから国中へと
運ばれる。商人、水夫、漁師たちの怒号が入り乱れ、海風を蹴散らすほどの熱気が放たれる。
「船長! 砲弾の積み込み完了しました!」
 日焼けした筋骨隆々の男が、港から一隻のガレオン船に向かって声を張り上げた。20を超える砲門を
持つその船のマストの頂上には黒い旗が翻る。船の舳先に、一つの影が太陽を背に立っていた。左肩にマ
ントを羽織り、豊かな金髪が潮風に明るくさざめいている。隣に立てた戦斧で銀の光を弾き、彼女の青い
目が振り返る。
 光風を浴び、彼女は上機嫌に口元をほどいた。
「そうか! 出航まで間がないぞ! あとは酒でも積んでおけ!」
 七海を制すとさえ言われるその海賊を、人はこう呼ぶ。
 海をいく獅子。
「アイアイサー!」
 港に立つ彼は海賊流に応じると、踵を返して走り出した。人々が渦を作る港の雑踏にその姿は紛れてす
ぐに見えなくなった。彼女は小さく鼻で笑うと、右方に並ぶ4隻のガレオン船を眺めた。角が生えた骸骨
の紋が描かれた黒い海賊旗が翩翻とマストの頂にある。総じて5隻が彼女の海賊団だ。
「おーい、船長ー!」
 明るい声が甲板に響いた。聞きなれた音色に、振り返るまでもなく声の主の屈託ない笑顔が目の奥に流
れた。甲板の上にある樽や縄を踏み越えて、大柄な女性が手を振ってやってくる。船長は手を広げて彼女
を迎えた。
「カンナ! 待っていたぞ!」
 汗の滲んだ額をぬぐうと、カンナは白い歯をこぼして笑った。
「元気にしてたかい、グリシーヌ!」
 陽を吸って、カンナの髪がオレンジに透けている。女性ながら鍛え抜かれたその肉体は、ナイフのよう
な美しさを持っている。カンナはその大きな手で握り拳を作ると、グリシーヌに向かって突き出した。
「あぁ! 長旅になるからな、気力体力ともに充実させておる!
 頼むぞ、航海士殿!」
 グリシーヌも拳を作ると、二人その手を叩きあった。


 首都から見るル・アーヴルは地平線に飲まれてもはやただの煙だった。レースの手袋で格子窓の曇りを
拭うが、外側が雨や埃で汚れていて視界は晴れなかった。水底を覗くように城下町すら歪み、彼方の港な
ど想像の中でしか存在しえない。かつて、婚姻の儀に赴く船へと乗り込んだ港。
「どうしたんだい、そんなに熱心に。」
 黒衣の背中に、穏やかに女性が語り掛けた。花火は石の間を振り返った。
「グラン・マ。」
 親しみをもって呼びかけられ、イザベラ・ライラック伯爵夫人は眦をつぶして微笑んだ。
「何か面白いものでも見えるのかい。」
 イザベラは花火が幼いころから付き合いのある女性だった。貿易を生業としていた父が懇意にしており、
懐の大きな彼女を花火もグラン・マと呼んで慕っていた。その頃からすでに王宮に遣えるすぐれた女性だ
った。
「いえ、ただ少し考え事を。大したことではないのですが。」
 ふーん、とグラン・マは生返事をすると同じ窓を挟んで立った。南面するその窓からは、城を通り城下
町を過ぎはるか海へと注ぐ川を見下ろせた。日頃と変わりない街並みと人の流れを見下ろして、グラン・
マは小さくうなった。
「今日、あの海賊娘が出航するらしいね。」
 花火はグラン・マを振り仰いだ。グラン・マは柱に背中を預け、腕を組んだまま窓から外をずっと眺め
ていた。
「まったく、とんだじゃじゃ馬だね、あれは。
 無事戻ってきたら、絶対に顔を拝ませてもらうよ。」
 あきれた風に言う彼女は、押し入ってくる海賊の一撃に昏倒させられ、結局海賊が帰ってしばらくする
まで目を覚まさなかった。ほかの大多数の兵士もそうだ。城の守りを破り、女王に奏上し、そのうえ私掠
免許を貰い受けしゃあしゃあと正門から帰った海賊娘への憤りは、それは大きいようだった。無理もない、
そう思いながらも花火はわずかにふざけて言った。
「とてもかわいらしい顔でしたよ。」
 花火は彼女を無事見た兵士と同じ言葉を口にすると、グラン・マは眉を吊り上げた。
「小憎たらしい顔の間違いじゃないかい。」
 小さくグラン・マが花火に笑いかけた。
「そうかもしれませんね。」
 花火は頷いて、右手で髪を耳にかけた。グラン・マは長く息を吐き出すと、雄弁な口を閉ざした。その
視線が自分の横顔にあたっているのを、花火は感じていた。グラン・マにはかなわない、花火は胸中でそ
っと溜息を吐く。
「あの海賊が言ったことを考えていたのです。
 国が割れようとしているのは私のせいで、私がこの国をまとめなければならないと。」
 海賊ごときに言われることではない。そんなこと自分が一番分かっていると、朝に夜に何度声にならず
言い返したことだろう。他国での虐殺事件も知っている、自分と一方の継承権者の間で争いが起きる危険
が高いこともわかっている。それを利用しようとしている諸侯が多いことも、自分の政権が長く続かずす
ぐに女王の座を辞すと思っているものがどれだけいるかも。国庫には資金もないことを。
 だが、だからこそ、この責任の重さを誰よりも自分こそわかっている。
「私こそ、この国を安定と繁栄に導かねばならないのです。」
 花火は合わせた手を固く握りしめた。
 自分を射抜いた青い目が、遠浅の海のような眼差しが蘇る。海賊に手を借りようとしているのを影で指
さす者がいるのなど構わない。
「グリシーヌ・ブルーメール。
 絶対にその名を忘れません。」
 彼女がこの国に富みをもたらし、私はこの国を導く。
 海賊に言われるまでもない、私はこの国の女王なのだから。
「ずいぶんかわいい名前だね。
 しかし、・・・ブルーメールねぇ。」
 グラン・マは窓硝子を親指の腹で拭うと、けぶる地平線を見晴るかした。

 
「グリシーヌ・ブルーメール。」
 それは、錨を上げよとの命令を貫いて、グリシーヌの背を突き通した。胸を突く衝撃が、グリシーヌを
背後へひきつけた。船の先端、手すりに背を預け港町を従えて、長身の女性が立っている。
「ロベリア!」
 吼えるや否や、グリシーヌの手が斧を掴んだ。腰を落として即座打ち込める姿勢を取り、グリシーヌは
間合いを計る。板五枚分、自分の一足一刀より離れている。
「貴様、スペインにいる筈ではなかったのか。」
 銀色の髪が陽に結晶化する。掛けた眼鏡の右レンズには罅が入り、日差しがそこで凝っていた。軽々と
グリシーヌが振り回した斧の切っ先になど目もくれず、彼女は眼鏡のブリッジを指先で押さえた。
「噂ごときより速くなきゃぁ、悪魔はやってらんないね。」
 右腕に巻いた錆びた鎖が鈍い音を鳴らして甲板に落ちた。履き潰し色の禿げたブーツを投げだし、彼女
は舳先に寄りかかる。
「女王の飼い犬になったんだってな、獅子はやめてさ。」
 ロベリアは掌を返して、軽薄に言い放った。グリシーヌの眉間に皺が一つ刻まれる。
「犬になどなったつもりはない。
 これは私の誇りの問題だ。」
 錨が上がりました、子分たちの怒号が港に響き渡る。だが、グリシーヌは答えなかった。頭上を舞うカ
モメたちの影が二人や船を行き交った。
「バカなのか、お前? 国につくなんてまともな死に方しないぜ。
 しかも後継者問題と宗教問題とか色々そりゃああちこちから恨み買ってる女王だぞ。」
 グリシーヌは言葉を選んで頷いた。
「充分解っている。」
 ロベリアのグリーンの目は色素が薄く、青にも銀にも見える。その中心、黒い真円の瞳に憤りが滲んだ。
二つの足で立ち上がり、彼女は嘲って声を張り上げる。
「解ってないね!
 この航海から戻れたって、国が残ってるかどうかもわからないんだ。
 その時、アンタの貰った免許状は生きてんのか?
 アンタは軍にも他の海賊にも、
 もちろん海賊らしくぜんりょうな市民さまにもみーんなに恨まれて、
 挙げ句にお偉い奴らにとっちゃあ前女王の残した厄介者だ!」
 海鳥が鳴いている。初めてその声が、船上の皆の耳に入った。港の喧噪が遠く、この一隻の海賊船の上
に目映い沈黙が降り注いでいた。海賊達が作業の手を止めて、船長とそして得体の知れない招かれざる客
を注視していた。
「それでも行く、私はもう決めたのだ。」
 言葉を紡ぐ彼女の陰は、よく磨かれた甲板に黒く焼き付いている。
「それに国がなくなっていたなら好都合!
 全ての財を堂々と我らのものとして、どこぞに国でも築いてやるわ!!」
 威勢良く言い放ち、グリシーヌは高らかに笑った。「よっ! さっすが船長!」航海図を片手にマスト
に船体中央のマストに寄りかかっていたカンナが合いの手を入れると、グリシーヌは背後の船員達の視線
に初めて気付いた。
「こら! 何をぼさっとしておる!
 マストを下ろせ!!」
 マントを翻しグリシーヌが手を上げると、海賊達はポーズを決めて「アイアイサー!」と怒鳴り返した。
彼らの額に首筋に流れる汗が弾ける。横帆と縦帆を繋ぎ止めていたロープが次々に解かれ、たちまち帆が
風を孕む音が膨れ上がる。
「エリカのためか。」
 ロベリアは尚も、そこに立っていた。
 グリシーヌは背を向けたままいた。
「私のためだ。」
 救えねぇな、ロベリアがうんざりと吐き捨てるのが聞こえた。
「おい、グリシーヌお嬢さまさぁ!
 尽くす国が違うんじゃないのかよ。
 叔父さんが泣いてるんじゃないかい?」
 湧き起こる熱がグリシーヌの体を突き抜けた。空気を引き千切り振り返る、その顔面に向かってロベリ
アは罵声の如く叩き付けた。

「墓の下で!」

 斧が横凪ぎにロベリアを切り捨てた。しかし、それは激情に歪む視界の見せた幻だった。ロベリアは軽
い身のこなしで後ろへ飛び、急な角度のついた舳先へ立ち上がった。グリシーヌを遥か見下ろして、ロベ
リアは両手を体の脇に下ろした。
「よかろう貴様、私がこの場で引導を渡してやろう。
 どうせ懲役千年なのだろう、貴様ごときを飼うために国庫の金を払うなど、
 捨てるよりもおしいことだ。」
 脇を締め、意識を前に出し、グリシーヌは足に力を込めた。その肌から、青白い光が立ち上る。持たざ
る者には見ることすら出来ない異形の力。
「死刑宣告書は今までどれだけの国で貰った?
 その国の分も私が働いてやろうではないか!」
 ロベリアは片手で顔を覆った。その手の下にある唇が、薄い弧を描く。
「やってみろよ。」
 海風が止んだ。
 その甲板の上でだけ、誰の衣も風を受けるのをやめ、代わりに空気は熱を帯び、肌にじっとりと汗を絞
り出させた。何かが焦げるような匂いが鼻を突く。船長、いきなり私闘かい、とのヤジが途絶えた。
「覚悟しろロベリアっ!!」
 グリシーヌが踏み込んだ刹那、ロベリアの周囲に炎が熾った。欧州全土を駆け巡り、炎を操る彼女をい
つからか、人はこう呼んだ。
「千年の悪魔!」
 野太い男の咆哮を置き去りに、グリシーヌが斧とともに炎へと飛び込む。その時、船が大きく前に傾い
だ。
「んなぁっ!?」
 まるで船尾を持ち上げられたかのように船の甲板は急斜面へと変わり、悲鳴を上げながら船員達がロー
プに樽に必死で掴まった。ロベリアは辛うじて船首にしがみつくと、それを見上げた。
 目を焼く太陽が大量の海水の向こうに透けている。この入り江に作られた港に、嵐ですら巻き起こせな
い程の大波が壁となってそり立っていた。ロベリアはグリシーヌを最後に見た。船も港もおよそこの波が
見えるであろう繁華街の人ごみから押し寄せる悲鳴の中で、グリシーヌは誇らしげに笑った。
「のやろおお!!」
 ロベリアの悲鳴を飲み込んで、波は地表へと叩き付けた。
 ただ霊力を波として放つのではなく、海水を多少巻き込んで作った皆に見えたろう。冷たい水が体を撫
でていった感触にしばし目を瞑りひたって、グリシーヌは船の縁に足を掛けた。そうして、船と船の間を
見下ろす。そこには真っ白い頭が一つ浮かんでいた。
「てめぇふざけんなよ! 眼鏡みつからないじゃないか!!」
 エリカいわく、不思議な力で膨らんでいるという髪がいまは濡れてべったりと頬に貼り付いているのが
グリシーヌからでも見下ろせた。そういえば、あのレンズの片側を割ったのも自分だったなと思い出しな
がら、グリシーヌは頬杖をついた。
「貴様が身の程も知らずに知ったような口をきくからだ!」
 必死に立ち泳ぎをするロベリアだが、果たして港に引き上げてもらうために手を貸してもらうのだろう
か。きっとそうはせずに、自力で上がれる川縁まで泳いでいくのだろうなと思うと、可哀相を通り越して
可笑しかった。
「そもそも千年の悪魔だの貴様は二つ名が勝ち過ぎだ!
 せいぜい二十歳そこそこのくせして。」
 ロベリアは一瞬顔をしかめると、腕を振りかぶって罵声を浴びせた。
「アンタなんか獅子どころか子猫だろうが!」
 む、と唇を引き締めると、グリシーヌは手を軽く横に振った。すると高さ50センチメートルほどの波
が起こって、可哀相なロベリアを飲み込んだ。
 ロベリアの言うことはわかる。話を受けるまでに幾度も考えたことだ。しかし、答えはついに変わらな
かった。それに、
 港では猟師やら商人が台無しになった商品にはまだ気付かず、未だ天を仰いで呆然と尻餅をついていた。
振り返れば船員達もずぶ濡れで、みな目を丸くしてグリシーヌを映していた。グリシーヌが一つ笑ってみ
せると、彼らの顔には敬愛の輝きが宿る。
 全世界へ繋がる海原と白い帆を背に、グリシーヌは拳を掲げた。
「さあ、出航だ!」
 それに、この世で最も海に愛される海賊がこの砕けるようなことはない。

 子分達は若い獅子へ堂々たる雄叫びを返した。
「アイアイサー!!」