第六話 幸福諸島






 花火

 そう呼びかける彼の声は、やさしかった。きっと。今はまるで、雲間から差す光の向こう側に霞んでし
まった。大きな水を抱えた海のように深いブルーの目も、あまりに真面目でなかなか笑わない眉間も、楽
しそうに目を細めると少し皺の寄る目尻も、ひとつひとつは思い出せるのに、彼の形にしようと目蓋を下
ろしてもどこかが少し違っている。
 花火は深く息を吸った。
 星が金貨となって空に瞬いている。いくつも数えきれないその星々は、暗い町をうっすらと縁取ってい
た。地平線は不思議とほの青く空との境を描いていても、町は大通りの幾つかがある筈の場所に点々とラ
ンプが揺れているだけだった。夜警はまるで寝ぼけているかのような足取りで、ゆっくりと黒一面の中を
進んでいく。夜風は冷たく、花火の切り揃えた黒髪を撫でる。
「フィリップ。」
 もし、今も彼が生きていてくれたなら、どれだけ幸福だったろうか。
 そんな想像を、時にはせずにいられない。
 優しい人だったから、きっと彼も執政で外交で多くのことで悩んだだろう。諸候が命に背いて少年兵を
他国へ送ったと知った時、他国の使節から婉曲的に侮蔑の言葉を投げられた時、産業安定化に向けて必要
な国庫歳入があまりに少ない現実に向きあった時、それでも税の重さ故に暮らしていけない者があること
を思う時、どう国を分つ教徒達の対立を治めればよいのか出口が見つからない時。自分は彼に寄り添い、
悩める所を聞き、きっとそっと手を取って彼の愛すべき所を語ったのだろう。彼がいくら迷っても諦めず、
最善の道を選ぶ力を持ち続けられるように。その額に刻まれる皺を解き、そっと顔に微笑みが差すように。
 彼は国民を愛し、国民は彼を愛して、ゆっくりとではあろうが安定と繁栄の道へと国は進んでいったろ
う。自分は彼と共に生き、彼の愛するものを愛し、この国が幸福なる島へとなっていくその時までを共に
歩む。
 私はそうありたかった。

 だけどそれはもう叶わない。

 膝に置いていたリュートを花火は手に取った。いつからか眠れない夜半に一人弾くようになった十五弦。
歪曲する洋梨型の胴体の中でいくつもの音が響いては大きくなり、夜の中で舞を始める。闇の階段を駆け
上がり、風に乗っては頭上を足元を音は自由に行き交う。音楽は一瞬の夢だ。その指が動いた刹那、今こ
の瞬間にしか息をしない夢。走り抜けたらもう二度とは戻らない。光の向こうに消えてしまったあの人に
似ている。思い出すその時にしか、彼はどこにも存在しない、それと同じ。
 全てあの暗い海の中だ。
 ドアが開く音が背後から聞こえた。蝶番が軋んで、足音が二つ分聞こえてくる。親指で最後の一音を放
つと、花火はそっとリュートを腕に抱いた。
「陛下、夜風はお体に障ります。」
 そう言って侍女は手にしたショールを差し出した。絹糸がもう一人の持つカンテラに照らされて、琥珀
色の光沢を湛えている。花火はよろこんでそれを受け取った。
「ありがとう。」
 My pleasure. そう答える侍従の肩から、長い紅茶色した髪が滑った。下がっていこうとする二人を
花火は呼び止める。
「ねぇ、シーさん。あなたも少し見たのでしょう。
 どうかしら、彼は。」
 花火はそっと頬に手を添えて、侍従の顔を覗き込んだ。シーは少し驚いた様子で目を丸めて、いたずら
っぽく唇を緩めた。
「陛下に私は意見できかねます。」
 ねぇ、と隣に立っているもう一人に視線をくれた。背の低い彼女がシーに同調すると、花火は「何を言
っても怒りませんよ。」と笑った。彼女達の意見が心底欲しいわけではない。ただ、足しにならなくとも
言葉を交わしたかっただけだ。議会や大臣達とも違う同じ年頃の少女達の声を聞くのは、何も解決を生ま
なくとも気分を少しは軽くしてくれる。
『耳が痛い話だろうけど、国を安定させるにはアンタが結婚するのが一番だ。
 特に、お金持ちとね。』
 そう言ったライラック伯爵夫人の意見が的を射ていると、自分でもわかっているから。シーは首を傾げ
ると、口元を隠して告げた。
「そうですねぇ、ちょっと年上過ぎるかなって。
 彼、三十代じゃないですか。陛下にはちょっと。」
 シーの仕草は内緒話のそれだ。花火はレオンの人の良さそうな表情を思い出してちょっと申し訳なくな
ったけれど、それでも小さく笑った。
「学校の先生くらい離れてるわ。」
 ですよね、なんてシーが頷くと小話の花が開いた。花火は侍従二人の話に時折相槌を打って、ただただ
先を促した。いずれ、結婚は必要になるのかも知れない。それは確かに波乱を含む筈だ。花火との結婚を
機に、父王から王位を譲り受け執政を継ぐ筈だったフィリップが、父王と共に式の直後に死没してしまっ
た。その空の王位を埋めるため、王妃となった花火が代理で執政を務めている今を、次の婚姻は大きく変
える。
 王家が移る。先王の妾腹に子が居るにも関わらず。混血の、王を殺した魔女である、間違った教えを信
じる愚かな女に、この国の輝ける王座が、と対立陣営の彼らは言う。フィリップの代わりを務めていると
いうことさえ、許し難い事実であると彼らは考えているにも関わらず。
「フランスの公爵って言ってもねー。」
 もう一人の侍従がシーとそう頷き合う。花火はリュートのネックを掴むと、腰掛けていた小さな椅子か
ら立ち上がった。
「そろそろ戻りましょうか。」
 花火は二人を促した。口を噤み、二人は頷くとカンテラを持った一人が一歩先を進み始めた。夜風を体
にまとって花火は石の床を踏む。自分がこの地位にある限り、対立は続いてしまうのだろう。花火が願っ
ていることではないが、しかし退くことを花火は望んでいなかった。
 王位継承権を訴える彼女は、その領地内でプロテスタントを殺した。火あぶりにし、復活することなど
できないように。それは千人にも及んだ。花火にはそれが神意に適うとは思えない、そしてフィリップの
想いに沿うとも。だから、例え望まれなくとも、憎むものが居ようとも、自分こそがこの国を治めなけれ
ばならない。
「陛下、昨日の雨で濡れておりますので。」
 侍従が歩みを止めて、足元の窪みをカンテラで照らした。そばかすが薄らと浮いた頬が橙色に照らし出
される。花火の緑色した目は明かりの作る影に呑まれて、黒く深みを湛えた。
「えぇ、ありがとう。」
 水たまりを避けて、花火が彼女の前を横切る。
 遠くの方で、銃声が聞こえた。
 しかし、花火の視線も意識も、その何処とも知れぬ暗闇へは向かなかった。それよりも唐突に降り注い
だあたたかい雨へと、その注意は吸い込まれた。飛沫は髪から顔、上半身へとかかって塗らした。カンテ
ラが地面に落ちて、炎を包んでいた硝子が砕け散る。
 細い光となって砕けた数十の硝子に、頭から血と
 
「グリシーヌ、何考えてんだ!!」
 上も下も無く海も空もを砕く嵐が、船を大きく傾けた。大風の前に波は砕けて飛沫となって窓の外視界
は1メートル先も見えず、轟音は全ての声も息遣いも生命の息吹全てを細切れに打ち壊していく。上から
波が船を破壊せんと間断なく叩き付ける。
「このままでは四隻とも沈む!
 次、大波が来たら私が砕くと言ったのだ!!」
 大きく傾いた艦橋で、グリシーヌもカンナも柱を掴み、片腕を床につけていた。まるで水切りをする石
のように船は波に打ち上げられ激しい上下を繰り返す。
「そんなこと出来るわけない!!
 この嵐の中外に出たらどうなるか、考えなくてもわかるだろ!
 死ぬつもりか!」
 波が左舷から叩き付け、瀑布のごとく水が弾ける。甲板は大量の海水で洗われて、水以外の何も残って
はいない。
「あといくらもしないでこの嵐は抜ける!
 それまで耐えるんだ!」
「船がそれまでもつ保証はどこにもない!
 ずいぶん走錨もしている、そなたの予想よりも台風の中心に呑まれた筈だ!
 直ぐに抜けるなどどうして言えるんだ!!」
 他の誰もを追い払った艦橋で張り上げる二人の怒号は、絶え間なく吹き付ける波を貫いて互いを叩く。
大波は船を高くへ押し上げては、水面に幾度となく落とす。艦橋にあった割れ物はすべて砕けて、二人の
手足を傷つけるばかりだ。
「だけどここは台風の左舷だ、嵐がこれ以上強くなることはない!!
 確かに船は走った、だけど、何キロも流されたわけでもない!」
 プエルト・ガレラから北東へ5000キロメートル、太平洋上に嵐を避けて停泊できる島や湾口などど
こにもなかった。さらに西へと進めば列島があり、明と呼ばれる大国がある筈だがそこに逃げ込むだけの
時間もなかった。勢力の強い右半円を避けて錨を打ち、台風が行き過ぎるのを待つほかできることなどな
かった。この嵐の中、操船など不可能だ。
「それで命をすべて天に任せろというのか!?
 そなたはずいぶん信心深いようだな!」
 外でロープがまた一本切れる音が響いた。すぐに叩き付ける波音に壊されて聞こえなくなり、船はまた
大きく傾いだ。床に転がりそうになる体を支え、カンナは柱を強く掴んで足を踏ん張る。
「ならアンタこそ自分を過信している!
 アンタもアタイもただの人間なんだ、ただ少し人と違う力があるだけだ!」
 怒鳴りカンナはグリシーヌを睨み付けた。そんなことで怯む相手でないことはわかっている、だが現実
を強く知らしめなければこの少女は無理をする。
「私は船長だ!
 皆死ぬかもしれないというのに、手をこまねいてみていることなどできない!」
 グリシーヌが降りぬいた左手が壁を殴りつけた。波に乗った船が跳ね、二人も操舵室にあるもの全てが
宙に浮いた。しかし即座に水面へと落とされ、その衝撃にグリシーヌの手は柱を離れ体は壁へと叩き付け
られた。擦れた息を吐き出して踞る彼女のもとへ、割れたガラス片が降る。
「く、っそ!」
 顔を覆う腕をガラスが切る。耳には下の船室から上がるさらにけたたましい音が伝わった。積み荷が崩
れたのかも知れない、砲弾や食料品の格納庫がやられたのであれば大きな損害だ。長旅で、この船には今
満足に動ける船員の数さえ少ないというのに。
「グリシーヌ、例えそのでっかい波一発をどうにかできたとして、次はどうするんだ?
 その次は? 霊力は無限じゃない。
 アンタはただ海を、海の水を上手くいっしょに動かせるから、出来るような気になってるだけだ。」
 カンナはその剛健な体躯で以て、荒波に両足で立っていた。跪いたグリシーヌはしかし尚も怒声を張り
上げる。
「すぐに抜けると言ったのはそなただ!
 であれば何十回もそうせねばならないわけではない!」
 切れた頬から一粒血が飛んだ。
「1、2回ならこの船だって耐えられる!
 この船をぶっ壊せるようなのが来たとして、それほどの規模のをどうにかできるのか!?
 流されて死ぬだけだ!!」
 目を焼く光が船室に差し込み、天を引き裂く轟音が地に落ちた。雷が空と海を割る。
 一人の海賊の姿がその閃光に刹那照らし出され、青い目がカンナをまっすぐに捉えた。その唇が開く。
「そなたは、諦めろと言っているのか。」
 青く、意志が瞳の奥で底光りする。船の底から水が引き、また大きな波が船に真上から襲いかかった。
戦場の砲火のごとき爆音が、艦橋の空気を震わせる。カンナはグリシーヌへはっきり告げた。
「人間が出来ることには、限界があるって言ってるんだ。
 アンタのせいじゃない。」
 わかっている、彼女がこんなにも意地を張り、無理だとしか言い様のないことをしたがるわけを。この
嵐の中外に出て行ってどうなるかなどわかっているのに、それでもと言い張るわけを、カンナはわかって
いる。一年前のあの海だ。
 グリシーヌは壁に手をついて立ち上がった。船の揺れに耐えるべく足を折り曲げて危なっかしく、しか
し決然とカンナを見据える。
「新大陸南端を渡るとき、嵐で一隻船が沈んだろう。
 その時からずっと考えていたのだ、どうして私はあの時何もしなかったのかと。
 海を、人にはどうすることもできないと最初から思って、挑むこともしないで!」
 喉を引き裂くような声だ。どれだけ彼女が気に病んで来たかなど、彼女より自分の方が知っていると、
そう言い張りたい程にわかっている。船長のくせにいつも先陣を切り、旅を上手く行かせるためならどん
なにいけすかない相手のためでも頭を下げてみせた、無謀な航海は避け、港に寄れば船体の手入れも念入
りに行ってきた。全ての行動の影に、あの日の海があることをわかっている。
「かなうわけないだろ!
 過ぎたことを気に病んで、気に病み過ぎて! それから逃れるために死にたいのか!?」
 カンナは叫んだ。
「アンタは船長なんだ!
 最期まで責任を背負わないのか!!」
 死に急ぐことではなく、船長として船に最期まで留まることこそ、責任だ。希望の少ない懸けに出て、
命を救うと言いながら命を捨てるのは、ただの逃避だ。
「死ぬとわかっていて、無駄だとしか思えない方法に身を投げ打つのは、責任の放棄だ。」
 カンナは言い放った。
 世界を巡る旅に出た本心を彼女は自ら明かさないけれど、あの噂は本当だろう。海をいく獅子は海賊免
許を女王から与えられるのをよしとせず、玉座にその戦斧で乗り込んだ。しかし、驚くべきことに若獅子
は女王に税の減免ではなく、一刻も早く国を一つにまとめろと進言したという。そうやって、人のために
船に乗る彼女が、その生死に強く胸撃たれるのは道理だ。だけど、
 グリシーヌは顔を歪め、唇を噛んだ。金の髪を振り乱し、強く吠える。
「私はもう、後悔したくないんだ!!」
 船が沈んだ。水が大きく引いていく。波が来る、そう直感させられる海の脈動だった。それは二人が恐
れていた大波の予兆。グリシーヌは落ちていた縄を引っ掴むと、手近な船の構造材に手早く括りつけた。
「グリシーヌ!」
 カンナが柱から手を放し駆け寄ろうとしたその時、船が大きく傾いてその体が反対の壁に転がった。グ
リシーヌは筋が浮き出る程強くロープを掴み、端を自分のベルトに縛り付ける。その横顔を青白く光が縁
取る。
「やめろ!!」
 カンナの制止の声は嵐に巻かれ、手は波に翻弄されて届かない。グリシーヌは縄で体重を支え、甲板へ
の扉を蹴り開いた。

 私は、人のためには戦えない。

 波風が体を貫いた。大粒の雨とも波ともわからない水が濁流となって叩き付ける。鼻も口も覆い息を吐
こうとする喉を詰まらせ、開こうとする目を容赦なく撃ち抜いて視界を奪う。魂まで支配する荒ぶる波と
雷だ。
「っく、そぉ、っ!」
 見えない目を硬く瞑り、グリシーヌは右手を水平に伸ばした。目も耳も嵐の中で聞こえず、しかし足を
折って甲板に叩き伏せようと揺れる船体から、その存在を痛い程感じる。遥か深い海が巨大なその存在が、
山のごとく強大な波となって立ちはだかるその脅威が、体を握り潰すほど強く迫っている。
 カンナの言う通り、これは責任の放棄だ。私は私が後悔したくないばかりに、この身を投げ出そうとし
ているだけだ。人を見捨てそれを後悔しては生きられない、だから私は、
「おおおおおっ!」
 苦く塩辛い海水を飲み込んで、グリシーヌは絶叫を迸らせた。胸の奥底から湧き起こり、肌を貫いて走
り出る霊力が青く暗闇を切り裂く。風雨は初めてグリシーヌの体から剥がれ、その眼前が開ける。重たく
塗れた髪と服を貼り付かせ、頭上を仰いだ。それは正に黒い絶壁だ。遥かマストを優に越え、排水量20
00トンのガレオン船を木の葉船に変える強大な世界の息吹。空と海の間で、船を人をすりつぶそうとい
う大波が立ちはだかっている。
 斧を手にしているかのように、この大いなる荒波を打ち砕く力を形とするために、グリシーヌは右手を
水平に伸ばした。開いた手の先に熱く力が迸る。見上げた頭上の波が逆巻き船を飲み込もうと白い牙を剥
き出しにする。
「Furie Neptune!!」
 絶叫が喉を切り裂いた。振り抜いた腕、弾け飛んだ水滴が嵐の落とす暗黒の中で一筋の光となる。その
淡い光は瞬く間に輝きを増し、海の神へと姿を変えていく。怒れる太古の神がその力を解き放つ。第二の
大波、向かい来る波を打ち砕くべく現れた輝ける青い波が海神の矛から顕現する。
 二つの波が、互いの身を食い滅ぼし崩れていく。その死体は大きな水柱となって弾けた。海へと押し込
められた波は海面に巨大なうねりを作り出す。浮き上がった船体と共にグリシーヌの足も宙に舞い、塗れ
た甲板に足を取られ左肩から無様に床へと突っ伏した。その背中を風に散らされ飛沫となった波が洗い、
立ち上がろうとする間もなく船は大きく左右へと揺れた。爪は床の何処にも立てられず、這いつくばった
彼女は板の上を滑る。
「ま、まだ・・だ・・・っ!」
 船縁を襲った波が頭からグリシーヌを飲み込んだ。激しい水流に体は浮き上がり船外へと流そうとする。
それを繋ぎ止めるのは一本のロープだ。結びつけたベルトが締め上げられ、体は操舵室の外壁に幾度とな
く激突する。何も見えない、上も下も何処もわからない平衡感覚は粉砕されて水で、息が
「まだだぁぁあああああっ!!」
 咆哮を解き放ち、霊力が濁流を押しのける。青い光は彼女の体表面を覆い、波風を一時退けた。しかし、
頭が割れそうに痛い。両腕をついたまま立ち上がれない。鼻から口から入り込んだ海水がぼたぼたと垂れ
る。霊力を行使するのはこれでもう限界だ。
 船室へ戻らなければ、ここで溺死する。
 もう一度だ、もう一度大波を退けて、その波が消える一瞬に戻るしか生き延びる術はない。だが、たっ
た二回撥ね付けただけで、本当にこの嵐を抜けられるのか。もし、もし自分がここで逃げて船が沈んだら、
そうして皆が死んだら私は。
 私はきっと、死ぬこともできないだろう。
 絶え間なく風が四方から吹き荒れ、銃弾となった水に体を射抜かれ息も吐けず、扉からたった1メート
ルのところで溺れ死ぬことを覚悟しなければならないこの嵐の中に一人跪いて。私が戦うのは、ただそう
やって死に納得を得るために。
 船体が再び沈み込む。自分の息さえ聞こえない風の中、爆発する波音が右舷へと集まる音が海の底から
響いてくる。グリシーヌは壁に手をついて立ち上がった。瞳が溢れる力の煽りを受けて青く底光りする。
彼女の目は暗い海原を見た。波に蹴散らされ視認できない筈の残り三隻がある場所が不思議とわかった。
今、海原を捲り眼前に立ち上がる巨壁に呑まれるだろう。
「Grosse Vague!!」
 まとわりつく髪を振り払い、グリシーヌは怒鳴った。力ある声に呼応して、海原が内より青く輝くまる
で真昼の海のように、全ての船と猛威を見せる波とを隔てるために。
 彼女の放つ大波が、海の脅威と激突する。
 壊れた波の破片に呑まれて、グリシーヌは紙くずのように濁流の中を転がった。




「
 アル
の目は足元


 どうして誰も助けない
                                            剥け転

 背中の真ん中に置かれた足に、ぐっと体重がかかる。胸が地面に押し付けられて、グリシーヌの息は詰
まった。腕を立てて起き上がろうとしても体格が違い過ぎる、せめて呼吸をするために胸を少しでも上げ
たかっただが彼女の足はびくともしない。
「あの黒い肌した奴隷はどうなんだよ、可哀相じゃないのか。
 ま、お友達になれば特別か。」
 低い声で言いながら、欧州を渡る怪盗は踵でグリシーヌの背を踏みにじる。肺から強制的に呼気が押し
出され、げう、と変な音が喉から零れた。口に砂が入り込む。息の吐けない苦しさに涙が滲んだ。
「人にものを頼むには対価が必要だ、大人ならわかってんだろ。               に潰し
 でも、アンタにアタシを雇う金があるとは思えないね。             右の目蓋から血が
 慈善活動は教会にでも頼めよ。」




                        れの剣を握りわらっている。頬には返り血が飛び、
                   沢を宿している。伯爵は傭兵に踏みつけにされ震え上がって手

                  殺しに?

                なつこく表情を崩した。倒れた男の上を、剣の影が渡る。血で塗れた
              れる。誰かの、そこで首と体が切り離された何人ものうち誰かの血がまと


    で震えていたグリシーヌの左手を、傭兵は汚れた手で掴んだ。

        振り抜き、グリシーヌは踵を返して走った。中庭はもう振り返らない、宮殿内に戻る扉
ず、グリシーヌは口を   わりにまた数名のユグノー貴族が押し出され、グリシーヌは石造りの涼やか
た。
 西日が入り江に差し込み、
「どうしてボクばっかり、むりや
 船底を水が打つ音が小さく耳朶に触
に灼け焦げて消えてしまう。母は失踪し父
涙の零し方さえ知らずに。                  と国が平和と安定のもと、繁栄してい
 グリシーヌは拳を握り締めた。目を貫く水平線の西        やさしくおだやかだった叔父上が。
な子を解き放つためならなんだってしよう。巨大な海賊団が相
必ず。
「コクリコ。」                                    れないよ
 囁いて、エリカはコクリコを抱きしめる。
 満月が冴え冴えと晴れた夜空で輝いている。白い光の放射は海沿いの町の輪郭を薄
していた。灯台から放たれる光だけ、この深い夜に人々が住むことを思い出させる。
扉を開き、グリシーヌは暗がりの中に目を凝らした。視界は全く聞かない。全て塗り潰
ある筈の荷の一つもわからなければ倉庫の壁さえわからなかった。風さえ消える澱んだ空
だが確かに彼女の存在を感じる。
「子供をある海賊団から救い出したい。
 手を貸してくれないか。」
 茫漠とした空間に、その声は響き渡った。背中から月光に
一秒、二秒、返事を待つ掌に汗が滲んだ。並み居る海賊
誰にも従わず、どの国にでも現れて欧州を荒し回る
魔と呼ぶ。もし突然襲われたら、カトラス一本
時         噤んだ。ただ隣に居たエリカは黙ってその二つの腕を伸ばし、コクリコを抱き寄せ
 重
 朝日          乱反射する水面がうるさい。
穹から白い          り・・・。」
 十を越える人          れていた。エリカの腕の中から聞こえる小さなすすり泣きは、夕日
されて、俯き気味に          は死んで、海賊に売られた子は誰にも育てられることないまま、
る。悲鳴をあげること              日を睨み、真紅に燃える雲を網膜に刻む。この小さ
 みなごろし。                     手だろうと、千年の悪魔さえ味方につけて。
 そうだそれは、全員殺す

 なぜ。なぜこんなことが、なぜ
                                      らと湾口部に描き出
「グリシーヌ様、お、おおおお慈悲を。                    薄らと空いた倉庫の
                                       した真っ黒一
 腕がグリシーヌの肩を掴んだ。弾かれ
た男が、わずか10歳の子供に縋って            二人を背にし、決然と立ちはだかっている。グリシ
滴ってグリシーヌの左手に落ちた。        ボンの裾を掴んで縋る。
「え、あ、わ・・、わたくしは・
「おいおい、教えに殉じるのが           すか。」
 よろこんで死ねよ。」
 男が仰向けにひきずり倒さ             口に殺到する。だがそこには既に傭兵が並んで
見開かれた目は不思議とてらてらとした光
を組んでいる。
「勇敢なお嬢さま      と、
 お貸ししましょ     何処             なる二人を置いて、アルベールは流れに逆
 黒髪の傭兵は     のこの小さな町         いていく、グリシーヌからその背が見えな
剣の柄がグリシ    水平線にかかる雲
わりついていた。   !」
「さぁ。」     る息を絞り出した。グリシーヌ     に?」
 胸の前で    れた景色の中に、小さな木造の教会が   、立ち上るなれた香りに包まれてしかし
「はなせ    る。後ろから足音が聞こえない、怒号も聞こ  ていたけれど、自分にたっぷりと笑い
 渾身    。だがあと少しだ、あと4歩、階段3段、1段、 どこかにやってしまって、青白い首だ
へ向    した。                     敬愛していたはずなのに首だけでもか
な     ろに誰か居る。                 は、こ
     っ!」                       る母の顔を覗き込んだ。蒼白な顔が     
     が左手を貫いた。焼け付く痛みに、体が震える。手の甲が
    しないでくれないか。」
   頭上を覆った。冷や汗が背中から額から吹き出して、肌を転がり
    剣を提げた兵士が数人立っていた。中央に立つ背の高い男が気
  リシーヌの右肩を押した。蹴り倒そうとする圧力に、だがグリシーヌ
「なにをよってたかって、女の子を追いかけまわしているのだ!
 はじを知れ!」
 自分は今、武器など短剣一本しか持っていない。勝算はない。逃げるにして
だが勝てないにしても、自分がこの場でこの子を守らなければ。くそ、こんな
ど逃げ込むべきでなかった。こんな場所、世界で最も信頼に足らない場所なのに。
「魔女の疑いがある者は裁判にかけるんだよ、知ってるかい!」
 腹部に男の足が突き刺さった。丸太のような足に蹴り上げられて体が浮き、勝手に
行く。その嫌な音が喉から零れる。立ち上がれない。
 床に這い、投げ出された左手を革靴が踏みしめた。
 悲鳴が言葉にならない。傷口が踏みつけにされ開いていく手の骨が砕けてしまうこのま
てくれそれを言うことができなくてもつれた舌で悲鳴だけ零しながら、グリシーヌは男の
でもダメだこんな子供の手では男の足はびくともしない。笑って男は踵に体重をかけ傷口を
「治してあげられるんだろ、君は魔女なんだから。」
 男が背後の少女に向かって、そう穏やかに語りかけた。
「ボク、もういやなんだ!
 こんな、海賊なんてしたくない。」
 声を張り上げた瞬間、そのまあるい目から涙が零れた。コクリコ、名前を呼ぼうとしたけれど声に
の塊
けた。
「そなた
 白い髪が
いた。長身の
かった。ロベリ
「アタシもアンタも、そいつも、
 元から生きる場所は決まってるんだ、分相応にさ。」
 海風が背後から拭く。グリシーヌの長い金髪の幾本かが風に
乾いていく。ロベリアの羽織った長い外套の裾が翻る。
「捩じ曲げようとすれば不幸にもなる。特に、」
 鎖を巻き付けた腕を外套の下から引きずり出し、ロベリアは掌を空へと。
「こんな力を使えばな。」
 何も無い掌に、突如炎が巻き起こった。千年の悪魔が、業火に赤々と照り映え
 1572年8月17日、それは歴史的     つくばって、グリシーヌは拳を握り締めた。頬を地の埃に埋
ルル9世の妹マルグリットの結婚
ソリック派の諸候とユグノー貴族    だろう。
と思っていた。
 一週間後の8月24日、サン・バル
 その朝を迎えるまでは。           ツを履いた足が蹴り飛ばす。倉庫の外に吹き飛ばされ
「・・え、・・・。」

 グリシーヌはその場に尻餅をつい        たい子供にも。」
ヴル宮、玉座にはシャルル9世がつき        。顔面を蹴られたんだ、ようやくその事実が頭の
アンリと王妹マルグリットはむつまじ         曲がってない、歯も折れてない、目も潰れてな
の祝賀はまだ花咲き、この結婚の意図         の奥を通って口に流れ込む。
殿に、また良き日が続くのだと。            る。二つの足、二つの腕、一つの頭、何か影
「は、ははうえ、あれは・・・、あれは          魔。グリシーヌの血塗れの手が、わずか解
 カトリーヌ・ドゥ・メディシスの元に、
「てい、とくですか?」
 コリニー提督の首だ。                   られ、グリシーヌを泰然と見下ろして
 改革派ユグノーの指導者コリニー提督。国           くつくらいなのか見当もつけられな
先日の祝賀会で会った時には、ますます大き
彼には用心しろと言っていたそれはわかって            できてんだよ。
された人物だ。だが、いま、なぜ彼は首だけに
 広間のざわめきが波のように引いた。膝をつ            りと手をべったりと濡らす血が
並ぶ各国大使やフランス各地の貴族達の顔色が青
グノーだ。彼の両足が戦慄いている、今にもその
「皆殺しにしろ!!」                       向けた。
 王シャルル9世の勅命が響き渡った。
「ユグノーは、その指導者は皆殺しにしろ!                る。
 王室に対するユグノーの陰謀は阻止せねばならない
 王命に呼応して、軍靴が響き渡った。左右の扉から
して現れる。王が雇ったスイス人傭兵部隊だ。
 お前達は部屋に戻りなさい、そして一歩も外にでな
   良いと言うまで、必ずだ。」               深く裂けている血が止まらない、
    掌がグリシーヌの肩を包んだ。アルベールは二
     腕に抱かれたまま、手を父に伸ばした。ズボ       落ちていく。振り仰いだそこに、
        おこるのですか。                 るげに右足を持ち上げて、靴底
          どういう・・・、どういういみですか      の怒りは弾けた。

             た瞬間、人が怒濤となって出口
                る。誰かが怒鳴った。         ももうこの子は走れない。
                                    とならやはり、教会にな
                   ぞ!!」
   の力で腕を             散らされそうに
  かって一直線に。入れ替わり        っすぐに歩い         息が出て肺から出て
 宮殿内に
 背後から、断末魔の絶叫が体を叩いた。        が。
 その場にグリシーヌは意の中の物全てを吐いた。     こに         ままでは痛いやめ
                            れ、          足を右手で叩く。
 貴族とは、民を守り、国を守る存在だ。          れ          をすり潰す。
 叔父上は命を懸けて国を守って戦い、戦場で散ったのだ。ただ民
けるようにと。外国の侵略を退け、人々を守って死んだのだ。あんなに
 なのになぜ、叔父上が命を懸けて守った人々が、互いに殺し合うんだ。
「父上、これでは・・・・これではなぜ、なぜ叔父上は死んだのですか。」
 虐殺は城の外、巴里市内にまで波及した。民衆は市内のユグノーを狩り立てた。家から逃げら
う道路に鎖を張り、民兵や群衆は略奪を行い、女子供そして赤子まで見境なく皆殺しにした。
「この国を、民を守るためと戦場で命をおとされたのに、こんな・・・、国民同士が殺し合うなんて。」
 セーヌ川が真っ赤だ。殺した市民を、市民が荷車に積んで集めて来ては、セーヌ川に捨てるから。提督
の体は、川岸で切り刻まれて焼かれた。
 き・・、貴族とは・・・、貴族とはなんなのですか。」
  ルベールは無言でグリシーヌを膝の上に抱き上げた。大きな腕に包まれても、見開かれたグリシーヌ
      影を見下ろしていた。


           んだ。


「グリシーヌ!!」

 熱い声が胸を貫いた。黒い空間が目の前に広がっている、あれは曇天だ。仰向けで嵐の空を見上げてい
る。雨と波が体を叩く。
「グリシーヌ! アタイの手を絶対放すな、わかったな!」
 陰がかかって暗い色をした目が食い入るように見つめている。日焼けした肌、グリシーヌより二回りは
太い筋骨の発達した腕、なまった言葉。
「カンナ。」
 グリシーヌは反射的に起き上がった。その体を横殴りの大風が浚う。波飛沫が船の左右で砕け、マスト
を繋いでいた幾本ものロープが切れて空を真横に靡いている。グリシーヌの意識はそこで繋がった、そう
だ、自分は世界を巡る航海をしているんだ、18歳の一人の海賊として。
「なぜ出て来た愚か者!! そなた」
「うるさい!!」
 怒鳴りつけながらカンナは手早く自分が腰に帯びたロープとグリシーヌのそれを結びつけた。カンナの
左頬が腫れている。背後、散る波に霞んで船室の扉が見えた。その扉は開かれている、一人の海賊が扉が
閉まらぬよう風に逆らい、一人がカンナとを繋ぐロープを腰に巻き付け握り締めている。
 船が大きな波を越えた。カンナとグリシーヌは波を被りながら甲板を転がり、海賊達は船の建具にしが
みついて堪える。カンナはグリシーヌを腕で庇い膝を立てた。立ち上がれないグリシーヌの唇まで埋めて
海水が甲板を流れ落ちる。立ち上がることなど不可能だ。例えあの海賊達がこの海に並ぶものが無い程屈
強だとして、この荒波のなか人間二人を引きずり戻すことなどできるわけがない。だが、カンナ一人なら、
体力も残りの霊力も違う、だからきっと。
「カンナ、そなた一人で行けそれなら助かる筈だ。」
 船全体を覆い尽くす水の塊が頭上から降り注いだ。叩き付ける瀑布にグリシーヌは身を硬くする、だが、
血の巡りさえ止めようかという衝撃は訪れなかった。代わりに体を包んだのは、燃え上がる熱さだ。カン
ナがグリシーヌの手を握り締める。
「簡単に生きるのをやめるなよ!!
 グリシーヌ!」
 燃える眼でカンナがグリシーヌに叫んだ。迸る彼女の生命が、嵐の暗黒に赤々と輝く。カンナはグリシ
ーヌの手首を握り締めた。その額に宿る力が、お前も握り返せと言っている。生きろとなじる。最期まで
生き抜けと叫んでいる。
 グリシーヌの顔を、雨粒が斜めに過っていった。
 そして、グリシーヌはカンナの手首を握り返した。船体は大きく左に傾いているが波は引いた、今しか
ない、カンナは勢いよく立ち上がった。足の萎えたグリシーヌの腕を引いて無理矢理立ち上がらせ、引き
摺るように甲板を一直線に駆ける。船室では男達がカンナを援護するため、必死にロープをたぐり寄せる。
 なぜだ。なぜ、カンナは、彼らは自分に生きろと言うんだ。家も、名誉も、誇りも、およそ生きるため
に必要なもの全てかなぐり捨てて、ただ波間を彷徨うだけの自分に。なぜ、
「おおおりゃあああああっ!!」
 船が跳ねる。走っていた足が空に舞い、風に体が流される。襲い来る波飛沫に呑まれる二人をロープは
繋ぎ止め、カンナの手足は海に投げ出されること無く甲板を掴んでいる。グリシーヌは塩辛い口を引き締
め、雨で見開けない目を前に向けた。あとわずか2メートルだ。
 重たい足に力を漲らせ、グリシーヌは床を蹴った。カンナの後について、仲間の方へ、
 怒濤が正面から押し寄せた。
 海賊が一人、ロープをたぐり寄せるために前に出過ぎている。カンナとてこの波では流される、それは
考えるまでもなく目に見えることだった。だが自分達は今、開かれた扉の正面にいる。決断と行動は同時
だった。
 最後の力を振り絞り、グリシーヌは波でもって自分達の背中を押した。船の中へ自分達を押し込めるた
めに、今この一瞬を生き延びるために。
 二つの波がぶつかる濁流が全ての音を洗い流した。




 繋いでいた手が解けた。


 激しい水流でそれはわずかな感触だったが確かに、何かが切れるのを聞いた。体はまるで他人のものに
なってしまった。上下も左右もわからないぐるぐる回転するのを止められない。ただ勝手にどっかに行っ
てしまう。命を繋ぎ止める物が今何もない。
 私は自分のためにしか戦えない。まして、国などのためになど戦えない。
 なのになぜ、私は今、死のうとしているんだ。
 水が自分から落ちていく。曇天に体が浮かんでいた。船が数メートル先に見える。だが波風が強くて、
カンナも海賊もどうなったのかわからない。全て水の向こうに掻き消されてしまった。
 いや、そもそもなぜ、今まで生きていられたのだろう。貴族であることを捨て、誇りに意味を見失った
まま、どうして。どうして、この航海に出ることを選んだんだろう。海の上だろうと、異国だろうと、ど
こだろうと、変わりはしないともう知っていたのに。世界を渡り、今までの世界を壊すようなものが欲し
かった。新しい世界を作り出せるような何かを得たかった、なんて。
「エリカ。」
 最後の一息が言葉になった瞬間、グリシーヌは海へと飲み込まれた。






 どうして。



 花火は震える唇を噛み締めた。暗い自室に閉じこもって体を抱きしめて目を瞑るけれど、目蓋にこびり
付いた景色が消えない。事実は体に刻み込まれた。自分と彼女の体に。だが、死ぬ筈だった自分が死なず、
彼女が代わりに殺されてしまった。頭から血と、中身を噴き出させて。
 あの嵐の日と全く同じ過ちだ。
「どうして・・・。」
 石の床から冷たさが体を這い上がり、目の熱さとぶつかった。目蓋から涙は転がり落ち、くずぐずに濡
れた顔を崩していく。涙が息に絡む。でも、誰も
「どうして、フィリップが死んでしまったの。」
 誰も傍に寄り添ってはくれない。本当は、この世の誰にも望まれていない女王だからだ。だって、
 だって
「どうして、私が生き残ってしまったんですか。」
 彼が生き残った方が、みな幸せになれたのに。